人気ブログランキング |

(ヨハネによる福音書 4:24)   大谷唯信牧師



「神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである。」



今年度は四月より「信仰による霊的成長の幕開け」と題し出発いたしました。今、八月も終わろうとしています。振り返って恵みを感謝いたしましょう。今日は「夏の霊交会」の日です。



イエス様は「我が名によって二人または三人おるところにはわたしもその中におる」(マタイ1820)と約束されました。教会の原点です。イエスの名によっての私達の交わりの中に主が御臨在下さるのです。何と素晴らしい事でしょう。今、主の御臨在の中に私達全員が共にいる事を意識し信じて下さい。私達がこの信仰をもって主を拝する時、私達の教会にキリストの命が満ちて来るのです。



「わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう」(ヨハネ154)何と心強いお言葉でしょう。教会は私達がキリストの体とされ、そのかしらはキリスト御自身です。教会での礼拝は私達の人生を支える力の源です。「もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである」(ヨハネ155)大きな恵みの約束であり、同時に厳しいお言葉です。ですから第一の物は第一に、即ち「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。」(マタイ633)



神の命を受け取るのはイエス様を信じる「信仰」であって、知識や感情の高ぶりでもありません。「神の霊であるから礼拝する者も霊とまこととをもって礼拝せよ」との主のお言葉です。



聖書の人間理解を図で整理してイメージして下さい。普通人は①②③の領域で生きています。聖書は特に④の霊の領域が私達の神の命に満たされ、新しく生かされる事を示しています。

「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」のです。御言葉は神の約束です。信じて従う時、霊は深められます。




≪≪ 私たちを構成する4つの領域のイメージ  ≫≫


       ① 頭 (知識)     |   ② 心 (感情)/魂(良心)


③ からだ(健康)   |   ④ 魂 (霊)  























by oume-akebono | 2018-08-26 15:25 | 週報メッセージ

(Ⅰコリント 1:28-31)      大谷唯信牧師



「神は、この世で身分の低い者や軽んじられている者、即ち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。それはどんな人間でも神のみまえに誇ることがないためである。誇る者は主を誇れ。」



教会が本当に成長するには、この御言葉の如く「神は無きに等しい者を、あえて選んで下さった」、それは私自身の事だ!とわかった人が何人いるかにかかっている。御聖霊は心の砕けに応じて注がれるからである。「血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず..(ヨハネ1:13)である。



サタンは常に神や人に自分の栄光を誇るように仕向けるから気をつけよう。意識して奉仕に務める事は大切だが信仰の出来事として取り組まないといつの間にか自分の奉仕、自分の働きへの満足、自己実現となり神ではなく自分を喜ばすものにすり替ってしまう。パウロの言う「御霊で始めたのに肉で仕上げると言うのか」(ガラテヤ3:3)となる。人はどんなに良い行いをしてもその奥にある動機の中に肉が入り込んでくる余地がある。



サタンは肉と共にあり争いに導く。皆、主のために良き事を行うとの思いで取り組んでいるだけに一寸した刺激で肉が噴出するのだ。イライラしたり、怒ったり。パウロはこれを「キリストにある幼な子」即ち、肉の人であって普通の人のように歩いているためではないか」(Ⅰコリント3:1-3)と言う。決して駄目なのではない。これから成長する期待の星なのである。



教会はキリストのからだであって私達はキリストに選ばれ神の子とされた。皆、同じキリストの命を授かっている。だが肉の人は肉の働き(ガラテヤ5:16~)に振りまわされる。だからこそ互いに祈り、交わり、互いに成長の恵みを受け霊的成長し、それに応じて御霊の九つの実が豊かに与えられるのである。



霊的成長の秘訣はとにかく御言葉の光に照らされて肉の心、自我が砕かれる事にある。自分の罪深さ高慢さに気づき、砕かれたならば、神には勿論、親や家族、友人に対しても申し訳なさと感謝の思いが感動となって命の泉のように湧き出し生活が全く新しくされるのである。


























by oume-akebono | 2018-08-19 17:21 | 週報メッセージ

(コロサイ人への手紙 3章1節)      大谷唯信牧師



「…あなたがたはキリストと共によみがえらされたのだから、上にあるものを求めなさい。…上にあるものを思うべきであって、地上のものに心を引かれてはならない。」



神は私たちが日々新しく造られる事を、願っておられる。神はそれがお出来になる御方である。しかし、神は一方的にそれをなす事はされない。私たちの協力を必要とされている。それは私たちの思う「思い」なのである。すべての行動は、行動を起こす前のこの「思い」から出て来るからである。私たちは常に変化する現実の中で、いろいろな思いが絶えず出て来る。ここで大切な事は、良きにつけ悪しきにつけ、その中のどの思いを選び取るかによって、自分の行動が全く違ってくるという事だ。



そこで御言葉は語るのである。「あなたがたはキリストと共によみがえらされたのだから、上にあるものを求めなさい。上にあるものを思うべきであって、地上のものに心を引かれてはならない」と。初めは「そう言われても、地上のものに心を引かれてしまう」との思いも出てくるだろう。だからこそ、それ以上に上にあるものを求め、上にあるもの、その時心の内に示されているものを思い続けるのだ。必要に応じて御言葉を味わい、集中して思い続ける。忙しく動き回るのでなく、心を静め御言葉に深く沈み込み、御言葉が自分の思いと一つになるまで思い続けるのである。



「信じなさい」「託しなさい」「愛しなさい」等の御言葉に接し、自分の課題として示されたならば、読み流してしまうのではなく、御言葉を通し自分の内面を深く吟味するのだ。足りないところを突き示されたならそれを直視し、自分ではどうにもならないと観念して、あの放蕩息子のように、「私はここで死のうとしている。父よ許してください。」と上を仰いで悔い改め、十字架の主にそのまま全託するのである。



主の前に砕かれることである。主に委ねて、主に従う決意を新たにした時、ご聖霊が助け満たし平安に変えて下さるのである。反省して自分で何とかするのではない。主の前で砕かれるのだ。自己破産して主に任せるのである。





























by oume-akebono | 2018-08-13 01:17 | 週報メッセージ

(申命記 30章14節)        大谷唯信牧師



「この言葉はあなたに、はなはだ近くにあってあなたの口にあり、またあなたの心にあるから、あなたはこれを行うことができる。」



「この言葉」とは神の言葉であり、十字架の言(Ⅰコリント1:16)である。しかも、私達に対する神の約束の言葉である。私達は常に礼拝において、また聖書を読むごとに御言葉を聞いている。しかし、読み聞くだけでは何も変わらない。まさにこれは肉的な領域ではなく、霊的領域の出来事なのだ。理解し納得で止まっている人は多い。それは絵に描いた餅となり、花で言えば造花に過ぎない。どんなものでも知識や文字となったとき、そうなってしまう。



霊の領域で受け取るには、その御言葉を信ずる信仰で受けるなら、生きた命が吹き込まれるのである。多くの連盟の諸教会が成長しない原因は、知識、理解、納得で止まっているからだ。実に美事な学識をもって語り理解し論じても、自分なりの肉の領域の出来事になっている。それをニコデモ信者と言う。



イエスは「わたしはいのちのパン、わたしを食べよ」とまで言われた。どんなに素晴らしい料理でも、レシピだけ読んで分かっても、実際に食べなければ餓死するのだ。これは理屈ではなく真実であろう。しかし信仰の出来事となると、この区別がつきにくい。肉なる自我と霊なる神我(霊の人)の区別がつかないのである。



「もし、御言葉がはなはだ近く()にあって心()にあるなら、あなたはこれを行うことができる」。「心で信じて義とされ、口で告白して救われる」(ロマ10:10)にも通じる言葉だ。「私にはできない、無理!」と思い、口にした瞬間、あなたは負けである。人は自分で語る言葉や思いに支配されるからだ。失敗を語れば失敗、不安を口にすれば不安に支配される。だから御言葉を信じて祈り、祈っては信じる。すると弱い自分が見えてくる。それが霊への入口となる。御霊に頼れ。「御霊もまた同じように弱いわたし達を助けて下さる」。とりなして下さるのだ。御霊はあなたを助けたいのである。






≪≪ 私たちを構成する4つの領域のイメージ  ≫≫


       ① 頭 (知識)     |   ② 心 (感情)/魂(良心)


③ からだ(健康)   |   ④ 魂 (霊)  




















by oume-akebono | 2018-08-05 13:11 | 週報メッセージ