(詩篇 42篇 5節)        大谷唯信牧師



「わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。神を待ち望め。わたしはなおわが助け、わが神なる主をほめたたえるであろう。」



人は誰で苦境に立たせられる時がある。思わぬ出来事に悲しみ、絶望にうちひしがれる時があるものだ。弟子達はイエスと共にガリラヤ湖にて船に乗り向こう岸に渡ろうとしていた。ところが急に嵐に見舞われ強風と高波にもまれ、船が沈みそうになった(マタイ4:35-41)。私達の人生に現実を語っているのである。その時イエスとは眠っておられた。弟子達は恐怖のあまりイエスのもとへ走り寄り、イエスを揺り起こし「主よ、お助け下さい。わたし達は死にそうです」と叫んだ。



主と共にいながら主への信仰は全くなかったのである。主のもとへ走り寄り主に頼ったことは良かった。しかし主の体に触れ主に寄り頼みながらも主への信仰、即ち主が助けて下さるとの信仰はなかったのである。だから泣き叫ぶ。イエスは波を静め言われた。「なぜ、そんなにこわがるのか。どうして信仰がないのか。」見るまでは信じていなかったからである。



わたし達もこう言う事はないだろうか。求め、寄り頼んでいるのだが信仰がない。願ってはいるのだが信仰を持っていない。主と共にいながらも独りぼっちでいる。主から見放されている、主から遠くにいる、無視されていると感じてしまう。



何故そうなるのか。信仰を感情の上に乗せているからである。信仰は意志であり決断である。愛も同じである。気分やその時々の感情ではない。それは②の領域の肉に立っているのだ。信仰、希望、愛は④の領域、霊的決断である。



アブラハムは「望み得ないのに、なおも望みつつ信じた。サラの胎が不妊であるのを認めながらも信仰は弱らなかった」のである。ダビデは失意の中で「わが魂よ、なにゆえうなだれるのか」と自分に呼びかけ「神を待ち望め、わたしはなおわが助け、わが神をほめたたえる」と祈ったことを覚えよう。




≪≪ 私たちを構成する4つの領域のイメージ  ≫≫


       ① 頭 (知識)     |   ② 心 (感情)/魂(良心)


③ からだ(健康)   |   ④ 魂 (霊)  
























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by oume-akebono | 2018-07-29 17:58 | 週報メッセージ

(詩篇 42篇 5節)        大谷唯信牧師



「わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。神を待ち望め。わたしはなおわが助け、わが神なる主をほめたたえるであろう。」



人は誰で苦境に立たせられる時がある。思わぬ出来事に悲しみ、絶望にうちひしがれる時があるものだ。弟子達はイエスと共にガリラヤ湖にて船に乗り向こう岸に渡ろうとしていた。ところが急に嵐に見舞われ強風と高波にもまれ、船が沈みそうになった(マタイ4:35-41)。私達の人生に現実を語っているのである。その時イエスとは眠っておられた。弟子達は恐怖のあまりイエスのもとへ走り寄り、イエスを揺り起こし「主よ、お助け下さい。わたし達は死にそうです」と叫んだ。



主と共にいながら主への信仰は全くなかったのである。主のもとへ走り寄り主に頼ったことは良かった。しかし主の体に触れ主に寄り頼みながらも主への信仰、即ち主が助けて下さるとの信仰はなかったのである。だから泣き叫ぶ。イエスは波を静め言われた。「なぜ、そんなにこわがるのか。どうして信仰がないのか。」見るまでは信じていなかったからである。



わたし達もこう言う事はないだろうか。求め、寄り頼んでいるのだが信仰がない。願ってはいるのだが信仰を持っていない。主と共にいながらも独りぼっちでいる。主から見放されている、主から遠くにいる、無視されていると感じてしまう。



何故そうなるのか。信仰を感情の上に乗せているからである。信仰は意志であり決断である。愛も同じである。気分やその時々の感情ではない。それは②の領域の肉に立っているのだ。信仰、希望、愛は④の領域、霊的決断である。



アブラハムは「望み得ないのに、なおも望みつつ信じた。サラの胎が不妊であるのを認めながらも信仰は弱らなかった」のである。ダビデは失意の中で「わが魂よ、なにゆえうなだれるのか」と自分に呼びかけ「神を待ち望め、わたしはなおわが助け、わが神をほめたたえる」と祈ったことを覚えよう。




≪≪ 私たちを構成する4つの領域のイメージ  ≫≫


       ① 頭 (知識)     |   ② 心 (感情)/魂(良心)


③ からだ(健康)   |   ④ 魂 (霊)  
























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by oume-akebono | 2018-07-29 17:58 | 週報メッセージ

(ルカによる福音書 24章 5~6節)      大谷唯信牧師



「あなたがたは、なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。そのかたは、ここにはおられない。よみがえられたのだ。」



何と象徴的な奥深い言葉であろうか。迫害下でも真剣にキリストを求めているのに、いつの間にか「何故、生きた方を死人の中に求めているのか」と言われてしまう状態になっているのである。「肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊のことを思う」(ローマ人への手紙85)これは普遍的な命の原理である。即ち、霊を求め従っているつもりでも、そこに「敵意、争い、そねみ、怒り・・・」(ガラテヤ人への手紙520)等の思いが出て来るなら、実際は肉に立っているのだ。私達はこの現実を正直に直視しなければならない。



「肉に従う」のは無理からぬ事とも思う。何故ならこの世はすべて肉に支配されているからだ。私達はこの中で生まれ、この中で教育され、今に至っている。私達は肉そのものになっているのだ。肉とは自分中心であり、自分の理解、自分の考え、自分の納得、自分の好き嫌いの世界だ。正しさに於いても、温かさ美しさに於いても自分の思う通りを求める。その根拠は自分の人生経験、自分の知識等であり、結局は自分なのだ。この世はその積み重ねで成り立っている。



これは決して悪い事ではない。当然の事だろう。しかしこれで霊なるキリストを求めてゆくと、「何故、生きた方を死人の中に求めているのか」となってしまう。彼らは自分なりに立って求めているのだ。「その方はここにはおられない」。何と言う事か。おられるはずのキリストがそこにおられない。キリスト不在なのである。



「よみがえられたのだ」。と聞いた時、使徒たちですら「それが愚かな話のように思われて、それを信じなかった」とある。勿論、使徒たちはイエスを愛し信じていたであろう。しかし、「それが愚かな話のように思われて」なのだ。これこそ自分なりの愛であり、自分なりの「信じる」であったのである。



肉に従う者は肉のことを思い」となる。「霊に従う者は霊のことを思う」。切り替えるのだ。日々、自分なりを捨て砕かれて主を仰ぎ主につながる思いを持ち続けよう。これが「霊と真をもって礼拝する」ことになる。これがないと見かけは立派でも、キリスト不在の教会になってしまう。





























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by oume-akebono | 2018-07-22 17:54 | 週報メッセージ

(エペソ人への手紙 4章15節)          大谷唯信牧師



愛にあって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達するのである



これは私達教 会に与えられている神からの成長の約束である。何と感謝なことか。勿論、成長させて下さるのは神御自身である。さらに続いて私達教会への注意が語られている。「私達はもはや子供ではないので、だまし惑わす策略により、人々の悪巧みによって起る様々な教えの風に吹きまわされたり、もてあそばれたりすることがなく」(エペ4:14)と言うのである。



この世は肉が支配している。教会の内も外も常に悪の霊に攻められている事を覚えよう。決して油断してはならないのだ。悪魔は有能で熱心な人を利用し、その熱心とその働きから不平、不満を起こさせ問題に発展させるから油断大敵なのだ。私達の教会はこれから主にあって素晴らしく成長する。となると、今いる私達が基礎となるわけではないか。どこの教会を見ても最初の基礎となった人達の信仰の有り方はその後の教会に良くも悪くも大きな影響を与えている。それだけに私達は心してキリストを土台として、キリストを中心に生き生きした信仰生活をおくる必要がある。



この世で健全な信仰を保つには教会なしでは在り得ない教会にしっかりつながり外敵から守られ、教会の交わりの中で教会を建て上げていく働き手になっていく程に神の祝福が流れ込み豊かな成長の恵みにあずかる事になる。これがキリストの成長させる方法なのだ。「もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる」(ヨハ15:5)「御霊の実」なのだ。礼拝、みことば、祈りを生活から奪われないようにしよう。



そうするにはどうしたらよいのだろうか。イェスは最も基本的な事を教えておられる。あらゆるクリスチャン生活の原動力となるものである。「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして主なるあなたの神を愛せよ」(マタ22:37)である。誰もがわかっているようでやっていないのである。もし、やれば、そこにいるだけで神の臨在を感じさせる人になるであろう。
























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by oume-akebono | 2018-07-15 17:49 | 週報メッセージ

(エペソ人への手紙 4章15節)        大谷唯信牧師



「わたしたちは愛にあって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達するのである。」



放蕩息子の兄は完全なまでに父に忠実に仕え模範的な青年でした。しかし、弟が戻り歓迎されているのを見て腹を立て、家に入ることさえできなかったのです。人が心から謙遜になるのは難しいのです。努力している人ほど難しい。頑張るその自意識の中におごりが入り込むからです。しかも本人はそのおごりには全く気がつかず、自分の謙遜にはしっかりと意識します。努力で頑張っているからでしょう。すると人の高慢さが気になり、許せなくなったりするのです。「私はこんなに謙遜になっているのに、あなたは・・・」のパターンです。



本来、謙遜は自分の謙遜を知りません。むしろ自分の未熟さ、高慢さに痛みを覚え、他を批判するどころか自分の他への申し訳なさでいっぱいです。努力は努力でよいのですが知識と同じく高慢になります。自分の罪深さに心砕けた人のみに開かれる世界なのです。本心に立ち返った放蕩息子は自我を砕かれました。



「父よ、私は天に対しても、あなたに向かっても、罪を犯しました、生意気でした、甘えていました」と心底気づいたのです。自己中心の心が砕かれると見栄、プライド、照れ、恥ずかしさ、弱いとか強いとかのこだわりも吹き飛びます。ただ、申し訳なさと感謝とそれでも生かされている喜びと感動が自然に湧き起こるのです。自我が砕かれた本心の姿がこれです。



誰でもこの砕かれた経験、理屈抜きの心の経験をしなければ本当の自分の人生は深まりません。頭ではなく、霊の心で信じイエスを迎え、キリストと共に十字架に死に主と共に生きる信仰に立つことです。



今は御聖霊の時代です。聖霊が慰め、力を与え支えます。聖霊への信仰をしっかり持ちましょう。御言葉には聖霊が満ちています。「互いにしのび合い、もし責むべきことがあれば許し合いなさい。」これが教会に満ちる時、教会は豊かな成長の恵みを賜り、さらに大いなる道が開かれることでしょう。
























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by oume-akebono | 2018-07-08 17:45 | 週報メッセージ

7月1日 霊に燃え

(ローマ人への手紙 12章 11~12節)       大谷唯信牧師



「霊に燃え、主に仕え、望みをいだいて喜び、患難に耐え、常に祈りなさい」



神はすべての人にからだを与えたように霊を与えて下さっています。「神は土のちりで人を造り、命の息(霊)を吹き入れられた。そこで人は生きた(魂=良心を持つ)者となった」(創3:7)のです。神を信じない者にも同じく霊はあるのです。しかし創造主の神との断絶によって霊のパイプは切れ、霊は死んだような状態になってしまったのです。本来は神との命の交流を持って神と共に生きるはずが神を失い自分だけで生きる自己中心(肉)となってしまいました。この断絶の状態を罪と言い、この罪の支配によって①②③の領域すべてがエゴとなり、いわゆる肉の働きとなって生きる、それが普通になってしまったのです。かろうじて魂なる良心は生きていますから社会常識から得た善悪の判断はある程度は出来ます。社会秩序はこれで保たれる筈ですが絶対的なものではありません。文化や状況によって心は変化するからです。しかし、私達、主を信じる心の奥の奥にある霊は神の命とつながり神の絶対的な愛に触れる事ができる唯一の領域です。



もう一度整理してみましょう。頭は生まれた後に学び、理解する知的領域。心は喜び、悲しみ等の情動的領域。霊は信ずる領域。魂は霊と心の間にあり、両者の働きを持ち、両者を結びつける大切な役割があります。しかし、ほとんどが霊ではなく肉の心の中に取り込まれているのが現状です。ですから心(魂)では御言葉を聞き、心は響き信じようと動くのですが、肉にどっぷり漬け込まれているとその時だけ知的魂となって拒否してしまうのです。魂は霊の領域の事を一番先に信じて心や頭に流してやらなければならないのですができません。砕かれていないからです。霊以外の領域は肉です。霊の領域を深めるには御子を信ずる他にはありません。「肉に従う者は肉の事を思い、霊に従う者は霊の事を思う」又「肉の思いは死であるが、霊の思いは命と平安である」(ロマ8:5-6)です。もう一度冒頭の御言葉を味わい、祈り、信じ霊の中に受けとめましょう。




≪≪ 私たちを構成する4つの領域のイメージ  ≫≫


       ① 頭 (知識)     |   ② 心 (感情)/魂(良心)


③ からだ(健康)   |   ④ 魂 (霊)  

























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by oume-akebono | 2018-07-01 17:21 | 週報メッセージ