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2011年 10月 31日
10月30日 罪の支配にも目覚めよ
「罪は戒めによって機会を捕え、わたしの内に働いて、あらゆるむさぼりを起させた。戒めが来るに及んで、罪は生き返り、わたしは死んだ。そして、いのちに導くべき戒めそのものが、かえってわたしを死に導いて行くことがわかった」
今や、この世は罪の支配下にあるのである。「実に被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けていることを、わたし達は知っている。」(ロマ8:22)と聖書は語る。アメリカの9.11事件、東日本大震災3.11、と原発事故による被爆問題、ギリシャの金融破綻からのヨーロッパ全体の経済不安、急激な円高、タイでは洪水、トルコでは地震・・・とここ数年の出来事でも想定外の事ばかりである。
戦後66年、日本は重大な岐路に立っていると思う。そう言う中でさらに心配な事は現代人の人間性の異変である。家族、夫婦、親子、個人の関係の在り方、生き方がこわれて来ていると思える事だ。教育以前の人間本来の個人々々の人間性の問題である。
今や、家庭でも学校でも又専門の教育施設に於いても何をどのように取り組んだらよいのかもわからなくなっているのではなかろうか。専門家に於いてもその原因や問題を的確に捉える事ができないのである。今までのように原因があってこの状態になっていると言うような単純ではないと言う事だ。聖書は「知者はどこにいるか。学者はどこにいるか。この世の論者はどこにいるか。神はこの世の知恵を愚かにされたではないか。この世は自分の知恵によって神を認めるに至らなかった」と語り、さらに「それは神の知恵にかなっている」(Ⅰコリント1:20-21)と言われる。
自己を中心とさせる罪は何と強い事か。冒頭の御言葉の如く、神の戒めにすら入り込んで来て、神に仕えようとするその心の中に自分の野心、自分の栄光を求めさせる罠を仕掛けるのである。神への奉仕が肉の働きになっていくのだ。しかし肉は自らの肉は見えない。聖霊に歩む者だけが自らの肉に気づかされ勝利が与えられる。私達は御霊によって歩もうではないか
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by oume-akebono
| 2011-10-31 23:54
| 週報メッセージ
2011年 10月 31日
10月30日 週報より
◆本日は「秋の霊交会」の日です。3時から始めます。私達は共に霊的に成長する事を願っています。霊的に成長する事が人間としての成長の最大の鍵です。これが欠けているため問題は起こります。神様を中心とした互いに交わりの時を持ち、深め合いましょう。今回の他教会からの出席は多摩川教会14名、ライフチャーチより17名、府中教会より数名となっております。互いの教会の方々との交わりはさらに大きな恵みの時となります。私達も心して共に参加し祈りと証しを分かち合う時といたしましょう。
◆ライフチャーチは青梅あけぼの教会の伝道所として出発いたします。お祈りご協力をお願いいたします。
新入園児募集をしております
願書受付は11月1日です
御協力下さい
<本日の夕拝 午後7:30~8:30>
エペソ人への手紙 1章3~14節
「神の目的の下(もと)に生きる」
森元國文副牧師
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by oume-akebono
| 2011-10-31 23:40
| 報告
2011年 10月 27日
10月23日 神の真実に生きるには
「むしろ、死人の中から生かされた者として、自分自身を神にささげ、自分の肢体を義の武器として神にささげるがよい」
イェス・キリストを我が救い主として信じ、イェスの名によるバプテスマを受けたなら誰でも救われ、永遠の命に生きる者とされるのである。もはや、サタンも死も、この世の権威も人の目も全く恐れる必要はなくなる。過去の罪は確かに残らず神の前にはイェスの十字架によって帳消しにされた。神の御前で堂々と立てる者とされたのである。しかし「からだ」は今も生きているのだ。やがては「死ぬべきからだ」であっても今は生きている。私達はこのからだと死ぬまでこの世では付き合わなければならない。
ところがこの世はサタンの強い力で完全に支配され、この世の人々も自覚のないままその支配下にあって自分なりの肉の正しさで生きている。そう言う中で私達は確かに魂が救われ霊によって生きるようにされている。
しかし、実際は当然の事だが肉のからだを未だに持っているのだ。するとどうなるのか。肉のからだを持っている以上、個人差はあるが今迄の肉の働きの習慣が出てしまう。これは誰もが経験するところだ。しかし、ここで悲観してはいけない。「だから、あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配に委ねて、その情欲に従わせる事をせず、また、あなたがたの肢体を不義の武器として罪にささげてはならない」として冒頭の御言葉をパウロは語った。正に悲観する事なく油断する事なくの取り組みだ。そうすれば「罪に支配される事はない」とパウロはその秘訣を語ったのである。
生きるとは神に自分を「義の武器として」ささげる事だ。真面目でも一生懸命でも知らず知らず肉の武器としてささげている現状がある。教会でもこの世でも問題の根は良き事が、「肉の思い」でなされている事だ。だから私達は御霊によって歩こう。御霊だけが肉に気づかせそこから解放してくださる。御霊は内なるキリストだからである。
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by oume-akebono
| 2011-10-27 23:36
| 週報メッセージ
2011年 10月 27日
10月23日 週報より
◆礼拝後のコーヒータイム、昼食等は良き交わりの時としてどなた様もご一緒にいたしましょう。
◆本日は第4週ですので各会の集いの日です。壮年、女性、青年、中高生等のそれぞれのクラスに参加いた
しましょう。生活のいろいろなことを分ち合うときとなりましょう。
◆大谷牧師、森元副牧師は、礼拝後、泉バプテスト教会の佐田千絵子牧師、加藤誠協力牧師の就任按手式に出席いたします。
◆次週30日(日)は「秋の霊交会」が開かれます。多摩川教会、ライフ・チャーチ、府中教会等の方々も出席いたします。3時から始まり夕食をとって7時には終ります。今から予定し、出席してください。
◆幼稚園では明日、市民会館にて青私幼の大会が開かれます。
新入園児募集をしております
願書受付は11月1日です
御協力下さい
<本日の夕拝 午後7:30~8:30>
コリント人への第一の手紙15:1~15
「最も大事な事」
谷口圭太兄
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by oume-akebono
| 2011-10-27 23:34
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2011年 10月 18日
10月16日 愛し合う根拠は何か
「わたしたちが愛し合うのは、神がまずわたしたちを愛して下さったからである」
この世で生きるには「互いに愛し合う」、これしかないのである。愛こそが命であり、あらゆる知恵や行動の原動力である。しかし私達の愛は何と弱く、一寸した風にもゆらいでしまうローソクの炎のようではないか。命とは愛であり生きるとは愛し合う力の事だ。こ
の世は生きるという時、一人で生き一人勝ちを描いているのではなかろうか。しかも愛する時でさえ一人で愛し孤独の中に身を置いているのではなかろうか。これでは弱い、すぐに傷ついて独りよがりにならざるを得ない。防衛的、攻撃的にもなりやすい。結局、自分の愛だからである。
愛は自己を解放する唯一の力のはずが自分の中に閉じ込める結果となり、自意識ばかりが働いて身動きすらできない。一応平静は保っていても心の内は人の言葉が気になりイライラしてくる。これは悲しい事ではないか。こういう時は実際に愛に生きていないのだ。エゴに生きている。ただの自己愛に立っているだけなのだ。
聖書は語る、「わたしたちが愛し合う」その根拠は自分ではなく「神がまず愛して下さったからである」と。この世の人の問題は自分を根拠にしている事だ。何でも「わたし」から始まるのである。だから「わたし」を失う事になるのだ。失っている人ほど自分を得ていると思っている。もっと自分に正直に謙虚に向き合ってみれば、自分が何といい加減で他を批判するどころではない事がわかり恥ずかしくなると思う。この時、成長が起きるのである。
成長は習い覚えた事で武装する事ではない。そう言う自分を捨てる時にもっと大きな愛に包まれ生かされている事に気づく事である。世の中はますます不安と恐れに満ちているではないか。人間として本来立つべく根拠を自分にしているからである。「愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く」。神の愛を根拠に生きるのだ。
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by oume-akebono
| 2011-10-18 12:31
| 週報メッセージ
2011年 10月 18日
10月16日 週報より
◆礼拝後のコーヒータイム、昼食等は良き交わりの時としてどなた様も御一緒いたしましょう。
◆新入園児募集-あけぼの幼稚園では昨日15日(土)より来年度新入園児募集が開始されました。願書配布が行われております。又、入園案内も用意されておりますので園児募集の協力をお願い致します。少子化の影響で募集に苦戦いたしますが、皆様の御知り合い、友人等の対象者の御家族にどうぞおすすめ下さい。
◆本日は美化デ-です。草取り、テントを洗って片づける仕事があります。青年、壮年の皆様お願いします。
◆本日は子羊会があります。またその後に公園伝道が行われます。どうぞお祈り下さい。
◆今週土曜日(22日)C.S教師会の祈り会が開かれます。教師の方々はご参加ください。
◆霊交会-今月30日は霊交会です。ライフチャーチからも参加予定(14名)です。多摩川教会(10数名)、府中教会、仙川教会からも数名出席します。私達も今から予定し、祈り、心の準備をいたしましょう。
<本日の夕拝 午後7:30~8:30>
ヨハネによる福音書 4:7~15
「イエス様の出会い方」
森元國文副牧師
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by oume-akebono
| 2011-10-18 12:29
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2011年 10月 18日
10月9日 イエスを仰ぎ見つつ
「こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか。」
今年も連盟よりバプテスト誌にのせるための青梅あけぼの教会の祈りの課題を3点、48文字以内で上げてほしいとの依頼が来た。あなたなら何を上げるだろうか。いろいろあると思う。10人いたら10種類のものが出るかも知れない。目標や課題はそれに縛られてきゅうきゅうとしてしまうなら面白くないが、漠然と過ごすよりも自分に合った目標や課題を持ってそれを目指すならば毎日も張りがあり楽しいものとなろう。特に主と共に目標を目指して走り少しでもそれに近づくのを見る事は嬉しいものである。
週報には「教会の祈り」も上げてある。これは私達個人の信仰生活を整え成長し、それが教会の成長にもつながるものである。
さて、この度上げたのは、
①「キリストの生きた命あふれる教会」である。健康で明るく元気な教会をイメージしてほしい。油断するとこの世の力に負けて暗くて死んだような教会、クリスチャンにもなり得るからである。日々、「いっさいの重荷とからみつく罪とをかなぐり捨てる」のである。
②「信徒伝道者の養成、150人礼拝」である。私達はキリストによって救われ、私達自身が神の国とされているのである。あなたは神によってその国の大使とされているのだ。この信仰を持っただけで御聖霊はそのように支えて下さり力が与えられる。いつ迄も初心者、お客様気分ではいけない。いっその事、信徒伝道者ぐらいのビジョンを持とうではないか。そうすればそうなるのである。「150人礼拝」は皆で祈ろう。
③は「新設伝道所、ライフ・チャーチの発展」である。先週の第1回目の礼拝はゲストの方々も入れて31名の出席と言う。驚くべき神の祝福である。私達は神の御心にかなった事をしようではないか。「イェスを仰ぎ見つつ」である。
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by oume-akebono
| 2011-10-18 12:27
| 週報メッセージ
2011年 10月 18日
10月9日 週報より
◆礼拝後のコーヒータイム、昼食等は、交わりの時としてどなた様も御一緒にいたしましょう。
◆昼食後はチラシ配りを行います。今年も幼稚園の新入園児の募集の季節となりました。今週15日(土)は全国的に願書配布が始まります。近隣にチラシを配りますのでどうぞ御協力をお願い致します。
◆C.S.教師会が開かれます。教師の皆様の御出席をお願いします。又、教会学校の働きのため、皆様のお祈りをお願い致します。
◆本日は夕方、恒例のバーベキューをいたします。どうぞ皆様を始め、御家族で御参加ください。皆様で楽しい時を持ちましょう。
◆本日も夕拝があります。どうぞ御出席ください。
<本日の夕拝 午後7:30~8:30>
ローマ人への手紙 6章 6-11節
「信仰に生きる伝道」
相山喜祈執事
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by oume-akebono
| 2011-10-18 12:25
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2011年 10月 17日
10月2日 今や変革の時
「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ。」
人間の力には限りがある。国と国との対立、経済恐慌、人種的差別、紛争、さらに東日本大震災等に見る全く想定外の大災害と最も起こってはならない原発事故による被災・・・。今や世界中が恐れと不安、悲しみ、怒り、苦しみの中で困難と闘っている。
どのような国際的な問題であっても、その奥に共通している真の問題がある。それは憎しみや恐れ、不安というごく個人的な問題だ。この個人の問題を無視しては、どれほど理想的な論理があっても実を結ぶ事が出来ない。今こそ、問題解決は対策や解決方法ではなく、自分の個人的問題を直視し、取り組むことと知るべきであろう。
イエスは「時は満ちた」と言われた。それは、人間は自分の限界を知り、神の支配を求め、神の御心に従うべき時が来たという事だ。どれほど人が正論を叫んでも、聖書は「義人はいない、ひとりもいない。悟りのある人はいない、神を求める人はいない。すべての人は迷い出て、ことごとく無益なものになっている。・・・彼らの道には、破壊と悲惨とがある。そして彼らは平和の道を知らない。彼らの目の前には、神に対する恐れがない」。(ローマ人への手紙3:10-18)と語っている。全てその通りの社会になってしまっているのではなかろうか。
何故こうなってしまうのだろう。「すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、・・・」(ローマ人への手紙3:23)と聖書は語る。時は満ちたのだ。もう迷っている時は終わりとしよう。神を求める時なのだ。時は満ちている。神の国を求める時が来ているのだ。「悔い改めて福音を信ぜよ」と語るイエスの声を聞こうではないか。
日本はこの大きな国難に直面して大きく変革を迫られている。しかし、何よりも変わらなければならないのは人そのものであろう。それが出来るのは聖霊以外にはない。あのペテロ達は聖霊によって変革されたのだ。その聖霊は今も私達に働きかけておられる。
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by oume-akebono
| 2011-10-17 23:52
| 週報メッセージ
2011年 10月 17日
10月2日 週報より
◆本日の第一礼拝は親子礼拝です。子供の成長を祈りつつ、共に感謝の礼拝を捧げましょう。
◆第二礼拝では主の晩餐式が行われます。神の独り子イエス・キリストの、私達の罪のために十字架に死んで下さったその愛を覚え、感謝の思いを持ってお受けいたしましょう。
◆礼拝後のコーヒータイム、昼食等は良き交わりの時として、どなた様もご一緒にいたしましょう。
◆本日は昼食後、定例のいずみ会が開かれます。会員の方々は皆、参加して下さい。クリスマスに向けての教会の働きについて分かち合いと祈りの時です。よろしくお願いいたします。
◆明日3日(月)午前10時、ベビールームがありますが、「親子で聴くハンドベル」の演奏があります。皆様も応援に来て下さい。
◆次週は午後3時頃よりチラシ配りとバーベキューを計画しています。皆で楽しい交わりの時にいたしましょう。今から予定しておいて下さい。
◆幼稚園の行事として4日(火)あけぼの会があります。6日(木)はもも組・ひよこ組の芋ほり遠足、また7日(金)は多摩動物園への遠足があります。お祈りください。
◆本日より大谷信道牧師一家は、三鷹駅近くのキャンパスクルセードの学生会館に一室をお借りして、新しく開拓伝道「ライフチャーチ」と命名し出発いたしました。お祈りください。住まいは当分、大谷唯信牧師と同居という事になりました。よろしくお願いいたします。
<本日の夕拝 午後7:30~8:30>
ルカによる福音書1:26~38
「お言葉どおりに成りますように」
大久保真道執事
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by oume-akebono
| 2011-10-17 23:42
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