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2009年 03月 29日
3月29日 週報より
◆本日は恒例の「春の一日霊交会」の日です。(11時~16時)「神の選びへの応答」と題して、私達が健全なクリスチャンとして成長するための学びと交わりをいたします。神はキリストの教会の交わりを通して霊の食物を与えて下さいます。どうぞ御出席下さい。
◆次週は新年度が始まる4月となります。
・第一礼拝は親子礼拝です。C.S.進級式、教師紹介等が行われます。
・第二礼拝では教師就任式があります。お祈り下さい。
・総会資料の〆切日は4月5日です。よろしく御協力下さい。
◆森元國文執事は4月より半年間東京バプテスト神学校の実習として立川バプテスト教会に出席いたします。お祈りに覚えて下さい。
◆大久保温子姉の大腿骨骨折の手術は去る25日(水)無事に行われ元気に回復に向かっております。続いてお祈り下さい。
◆本日より相山知寛兄、田中詩姉、相馬ひかり姉、難波みさき姉が長野県麻績村にある聖山高原でのユースキャンプに参加します。お祈り下さい。
◆今週4日(土)午後8時より執事会です。
◆幼稚園の学校法人の申請をしておりましたが認可される事になりました。お祈りを感謝いたします。30日(月)都庁にて説明会があり4月1日に認可書の交付式が行われる予定で大谷牧師が出席いたします。
〈教会の祈り〉
①常にまず自分の内側を整える。
②教会を信じ、礼拝、祈祷会、献金を聖別する。
③牧師・信徒の信仰、霊性の深まり。
④互いに牧会し合うセルの充実と拡大。
⑤150人礼拝を信仰で観ること。
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by oume-akebono
| 2009-03-29 18:57
| 報告
2009年 03月 29日
3月29日 真の自由・平安を得よ
「あなたがたの肢体を不義の武器として罪にささげてはならない。むしろ、死人の中から生かされた者として、自分自身を神にささげ、自分の肢体を義の武器として神にささげるがよい」
人の生き方には二つある。自分を「不義の武器として罪にささげる」生き方と「自分を義の武器として神にささげる」生き方である。神は後者の生き方を選べとすすめておられる。ところが世の人は一般的に二つの間違った考え方をしている。一つはクリスチャンになると束縛されると言い、二つは未信者である我々こそ自由である、と言うものだ。
世の人は本当に自由であろうか。ここ10年、毎年3万人以上の自殺者が象徴しているように、益々複雑な社会現象の出来事の中で不安、疑い、怒り、憎しみ、争いの波が荒れ狂っているではないか。どこに自由があるのだろう。聖書はこの世の人こそ不自由そのものであって束縛されていると語る。
まず罪によってである。すべての者が「罪のドレイ」(ヨハネ8:34)になっているとまで言い切る。
次に自己によってである。自分の思う通りなる事を自由と思っているがそれが全ての間違い、自己の欲望のドレイ(ローマ7:13)ではないかと語る。
最後にはサタンのわなの中にある(IIテモテ2:26)と、言う。これほどの醜悪なものをかかえ込んだままでどうして人生の命を輝かす事が出来ようかと。これは一般論ではなく、わたしの事でありあなた個人の問題として指摘しているのである。
キリスト者とは、この罪やサタンの力から解放された者である。それだけに二度と奴隷のくびきにつながれてはならないのだ。自分の力は肉であって役に立たない。ただ御聖霊の助けを求めつつキリストと共に自分を神にささげる信仰で歩む時、勝利は主が与えて下さるのである。
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by oume-akebono
| 2009-03-29 17:49
| 週報メッセージ
2009年 03月 22日
3月22日 週報より
◆本日の第一、第二礼拝のメッセージは森元國文執事が行います。感謝いたします。
◆大谷牧師は本日中野バプテスト教会の礼拝説教にいっております。中野バプテスト教会は今年二月に斉藤牧師が辞任され、三月より東京連合チャプレン富田敬二牧師、連盟常務理事加藤誠牧師を中心に近隣教会の援助によって歩むことになりました。どうぞ祈りに覚えてください。
◆礼拝後の昼食はどなた様も、よき交わりの時として御一緒いたしましょう。新しい方には皆さんで声をかけてください。
◆去る20(金)は教会学校奉仕者研修会が開かれ教師、奉仕者共に教会学校の働きや恵みについての分かち合いがなされ恵まれました。(15人出席)
◆昨日は有志の方々でコーヒー販売がなされました。本当にご苦労様でした。
◆幼稚園では18日(水)第51回卒業式が行われ15名の園児が卒業されました。親子共々、喜びと感動を分かち合い、その後の謝恩会は子供達の素晴しい歌声の響く会となりました。
◆大久保温子夫人(大久保真道兄のお母様)が自宅で転倒され大腿骨骨折をされ入院いたしました。お祈りに覚えてください。
〈教会の祈り〉
①常にまず自分の内側を整える。
②教会を信じ、礼拝、祈祷会、献金を聖別する。
③牧師・信徒の信仰、霊性の深まり。
④互いに牧会し合うセルの充実と拡大。
⑤150人礼拝を信仰で観ること。
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by oume-akebono
| 2009-03-22 23:44
| 報告
2009年 03月 22日
3月22日 人間の賢さの限界
「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉で生きるのである」
この世の教育はいかに優れたものであっても人を造らず人を生かさない。全く死の教育でしかない事を世は気づくべきであろう。イエスは言われた。「人を生かすのは霊であって肉は何の役にもたたない」(ヨハネ6:63)と。この世の教育は全て肉の領域であって人を生かす肝心な霊なる命とは似て非なるもの、全く関係ないものになっている。
ユダヤ人は神から与えられた律法ですら自らの行いの中に落としめ、単なる規範、規律、戒律如きの無力な文字としてしまい、もはや神不在の律法であり「霊によらず文字だけの外見上のユダヤ人」(ロマ2:28)になってしまった。彼らが誇りとしていた父祖アブラハムは信仰の人であったのにである。
「彼は死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じた。彼は望み得ないのになおも望みつつ信じた」「サラの胎が不妊であるのを認めながらも、なお彼の信仰は弱らなかった」「神の約束を不信仰のゆえに疑うようなことはせず、かえって信仰によって強められ栄光を神に帰し、神の約束を確信した」(ロマ4:17-21)。
しかしユダヤ人は律法の行いを義とし自らを誇っていたのである。その点、知識や科学を頼みとして自らの力を誇りとする現代人も同じ事をしているのではなかろうか。一見豊かに見えた世界経済も一つのつまずきで世界中がガタガタになっているではないか。日本に於ける政治、経済、教育、いずれも未来が見えず行き先もわからずその貧困さを露呈している。結局バベルの塔しか築けない私達人類は今こそ「人はパンでのみではなく」真の食物である霊の糧、即ちキリストの命を得る必要に気づかねばならないのではないか。
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by oume-akebono
| 2009-03-22 22:40
| 週報メッセージ
2009年 03月 16日
3月15日 週報より
◆本日は昼食後コーヒー販売をいたします。昨日は雨天のため予定通りにはできませんでしたが、今日は地域の「梅祭り」でもあり、沢山の梅見の方々が来られるでしょう。どうぞ、御協力下さい。
◆今週18日(水)は青梅あけぼの幼稚園の卒園式が行われます。お祈りに覚えて下さい。卒園なさる子供達と御家族の上に神の祝福がありますように祈りましょう。
◆今週20日(金・休日)は教会学校奉仕者研修会をいたします。午前10時より午後4時頃迄です。教師の方々とこれから教師として奉仕をしてみたいと考えておられる方も歓迎いたします。皆で一緒に子供達のために力を貸して下さい。
◆今週21日(土)天候が良ければ、コーヒー販売を予定しています。状況によりますが、よろしく御協力下さい。
◆次週22日の第一・第二礼拝は森元國文執事がメッセージの御奉仕にあたります。お祈りに覚えて下さい。
◆大谷牧師は次週は中野バプテスト教会にメッセージの御奉仕にあたります。お祈り下さい。
◆今年「春の霊交会」が29日(日)に行われます。礼拝、昼食そして午後4時頃迄です。新年度に向けて「神の選びへの応答」と題して共に霊的交わりの時といたします。今から計画しておいて下さい。
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by oume-akebono
| 2009-03-16 08:17
| 報告
2009年 03月 15日
3月15日 神の選びに応答せよ
「わたしがあなたがたを選んだのである。」
今や、神はあなたに語りかけておられる。聖書はただ聞いているだけならただの書物であり、ただの教訓であり文字づらである。何の力にも役にも立たない。
昔、イザヤは神の語りかけを聞いた。「わたしは誰をつかわそうか。誰が我々のために行くだろうか」と。イザヤはこれを聞き流さず受けて応えた。「ここにわたしがおります。わたしをおつかわし下さい」(イザヤ6:8)。ここからイザヤの人生は変革された。「神との出来事」となったのである。
この形は神との出来事としての原則であり今も同じである。応答する事によって語りかけられた御言葉の内に潜む深い内側の神の命に触れるのである。神の命の息が吹き込まれ「生きた者」とされたアダムと同じ事が起きた。イザヤは神の語りかけを言語学的に解釈したり神学的意味を深めようとしたのでもない。「わたしがここにおります。わたしをおつかわし下さい」と献身的応答であった。内側の命に触れた者がそうせざるを得なくなる共通の姿をここに見る。
長血の女にイェスは出会った時(マルコ5:30)「わたしに触れた者は誰か」と言われた。「こんなに多くの群衆が押し迫っていますのに」と弟子たちは困惑する。結局、多勢の中でイェスに触れた者は長血の女一人だけだったのである。押しかける者には祭司や律法学者等や知識人もいた事であろう。しかしイェスの内なる命に触れたのは長血の女一人であったのだ。押しかける多勢はイェスの外側に触れていただけで命には全く触れていないのだ。
神学校を始め連盟の我々諸教会もこんな事になってはいないかと危惧するのであるが、それだけに私達は聖書の「言葉遊び」ではなく信仰決断をもって主に応答し、内なる命に触れる者とさせていただこうではないか。
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by oume-akebono
| 2009-03-15 23:38
| 週報メッセージ
2009年 03月 08日
3月8日 週報より
◆昨日は兄弟姉妹方の協力によってコーヒー販売をいたしました。伝道と交わりの時として、信仰によって御奉仕できますことを感謝いたします。天候が良ければ次の土曜日も予定しておりますので、よろしくお願致します。
◆礼拝後のコーヒータイム、昼食等、良き交わりの時として皆様御一緒にいたしましょう。
◆昼食後、本日は総会が開かれます。2009年度の活動計画についてです。会員の皆様は御出席をお願い致します。都合で御出席できない方は委任状の提出をよろしくお願い致します。
◆本日教会学校では父母参観日となっております。又、幼稚園青組(年長)ではこの3月(8・15・22・29日)を体験CS月間としております。楽しい会ですので幼稚園の青組のお友達は全員参加してみて下さい。
◆今週10日(土)東京地方連合委員会が大久保教会にて開かれます。大谷牧師、相山兄が出席いたします。
◆13日(金)あけぼの幼稚園でお別れ会が開かれます。
〈教会の祈り〉
①常にまず自分の内側を整える。
②教会を信じ、礼拝、祈祷会、献金を聖別する。
③牧師・信徒の信仰、霊性の深まり。
④互いに牧会し合うセルの充実と拡大。
⑤150人礼拝を信仰で観ること。
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by oume-akebono
| 2009-03-08 23:57
| 報告
2009年 03月 08日
3月8日 あなたは勝利者になれる
「世に勝つ者はだれか。イエスを神の子と信じる者ではないか。」
「世」とはサタンの支配下にあり、私達が生活しているこの世の事である。罪許され、サタンに勝利する者、それはイエスを神の子と信ずる者であると神は宣言された。だが巧妙に働きかけるサタン。内から起こる肉の働きに私達は本当に勝利できるのか。全く自信はなく不安に悩んだりする。
そこでイエスは言われた「この世では悩みがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」(ヨハネ16:33)と。何と驚くべき言葉であろう。戦うのは私達ではなく主御自身なのである。私達はただ、イエスを信じればよいのだ。
「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3:16)救われる条件、勝利する条件はただ一つ、イエスを神の子と信じるその信仰のみなのである。神からの御言葉を信じようではないか。これは子供でもできる事である。御言葉は永遠の命を与えるための神からの「小切手」である。この小切手は今や私達の前に置かれているのだ。いつまで眺めていても、大切にしまっていても、ただの紙切れで意味がない。
自分のものにするにはどうしたらよいのか。それは他でもない、この小切手に自分の名前をしっかりサインして裏書きをすることである。その瞬間からこの小切手はすべて自分のものとなるのである。霊的に幼い子供にとっては手にした莫大な財産の価値も力もあまり分からないかもしれない。しかし、やがて成長し、自分の許された罪がいかに大きく、決して償う事ができないものである事が分かってくるにつれ「小切手」の威力が分かってくるのである。そこでサタンは自分の姿を消して見せず、ただ私達の罪の自覚をほどほどにして、自分で何とかできると思わせるので気をつけねばならない。小切手不要とするのである。
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by oume-akebono
| 2009-03-08 23:50
| 週報メッセージ
2009年 03月 01日
3月1日 週報より
◆本日の第一礼拝は親子礼拝です。子供たちの成長を感謝いたしましょう。尚、本日の証しとして木下由美姉のフラダンスの賛美があります。
◆第二礼拝では主の晩餐式が行われます。私達の罪を贖い十字架の苦しみを受けて下さった神の愛に感謝し、信仰を持ってお受けいたしましょう。
◆本日は礼拝後コーヒー販売をいたしますので、昼食を早めにして準備にとりかかります。どうぞ御協力下さい。
◆讃美展-青年たちによる「讃美展」が昨日より礼拝堂で開かれております。本日の午後もこの礼拝堂で行いますので御協力下さい。主を讃美する作品です。どうぞ時間を見て鑑賞して下さい。
◆本日午後二時頃より日本バプテスト連盟常務理事加藤誠先生をお迎えし臨時執事会が開かれます。(図書室)
◆藤井兄の奥様は中国に今帰られて一ヶ月となります。藤井兄も仕事の都合で礼拝出席が難しいのですが、御夫妻のために祈って下さい。
◆次週は総会です。新年度の計画を話し合います。教会員の方はご参加をお願いします。ご都合のつかない方は委任状の提出をお願いいたします。
◆大谷牧師は企業研修のため明日より一週間出張です。健康のためお祈り下さい。
◆今週3/6(金)新小岩教会(川口牧師)の壮年会約20名の方々が梅を見に来られ11時頃教会に立ち寄るとの事です。
◆コーヒー販売は今週7日(土)も予定しております。御奉仕の御協力をお願い致します。
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by oume-akebono
| 2009-03-01 23:58
| 報告
2009年 03月 01日
3月1日 ただ信ずる者となれ
「あなたの娘はなくなりました。このうえ、先生を煩わすに及びますまい」イエスはその言葉を聞き流して、会堂司に言われた。「恐れることはない、ただ信じなさい」。
娘の死を知らされた父親がいる。会堂司ヤイロであった。娘をなおしていただくためにイエスをお連れする途中の事だ。私達ならどうするだろう。おそらく死という動かすことのできない重い現実に悲しみ嘆きながらも、受け入れざるを得ないであろう。人間がどんなに願っても泣き叫んでもどうにもならない現実、現代の知恵も力も過去の業績の何を持ってしても死に対しては無力なのである。
この世はどんなに力を誇っても、独裁者であっても「命あっての物種」の無力の世界なのである。この無力を当然の常識として人々は受け入れ生活している。しかし神はこの無力なこの世の常識に捕らわれている私達に、それを超えた根元的な命の世界をイエスを通して得させようとしているのだ。
そのイエスは死の宣告を耳にした時どうしたのか。「イエスはその言葉を聞き流して」とある。普通ならこの言葉だけは聞き流せない言葉であるはずだ。こんな深刻な、しかもそのために行こうとしていたのに、一番肝心な事ではないのか。イエスは何も感じていないのだろうか。
肉である私達はどんなにあがいても肉でしかない。イエスは霊の領域の方であるのだ。突然イエスは、恐れ惑う人々に向かって「恐れるな」と言われた。肉の領域に霊の領域が突入してきたのだ。「ただ信じなさい」と。
ただ信じるとはどういう事か。「ただ信じる」事だ。霊の領域を受け取るには「ただ信じる」のだ。他には何もない。何の理由も根拠もない。「ただイエスを信じる」。長血の女も「ただ信じて触れた」のだ。イエスの力を引き出すには「ただ信じる」信仰だけである。イエスに関する知識や神学を持つ「押し迫る者」はイエスに触れていなかったことを覚えておこう。
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by oume-akebono
| 2009-03-01 23:52
| 週報メッセージ
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