カテゴリ:週報メッセージ( 499 )

(使徒行伝 3章14節)        大谷唯信牧師



「神はこのイエスを死人の中から、よみがえらせた。わたしたちは、その事の証人である。」



現在、私達の教会は沢山の恵みを受けております。皆様方の正直な祈りと信仰に神は応えて下さっておられます。心から感謝の祈りと讃美を捧げましょう。そういうこともあって、さらに私たちが何を求め、どのように歩んだらよいのかを知るため、祈祷会では再度、使徒行伝を読むことにしました。弟子達の、聖霊によって歩むその信仰姿勢に触れるためです。



 初代教会の弟子達とその一団は決して名のある人達ばかりではありませんでした。有能な指導力のある人達でもありませんでした。では、何故あのような目覚ましい働きと多くの実を結ぶことになったのでしょうか。当時の時代背景、その状況を見ても決して伝道に恵まれているとは思えません。それどころか最悪です。それに比べ今の私たちの時代はどうでしょう。戦前、戦中のような迫害も特高警察の厳しい取り締まりもなく、宗教も言論も保証され生活も豊かで自由です。



 しかし、何不自由のない豊かな生活になるほど、次の課題が足下にあることが分かります。イエスがラオデキヤの教会に語っている御言葉から私達にも当然起こってくる問題を明確にしました。「あなたは冷たくもなく、熱くもない。なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう。あなたは、自分は富んでいる。豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない。」(黙示録315-17)と言われたのです。



 「人の四つの領域」で見るならば、④の霊以外の三つは肉の働き(ガラテヤ519-21)の領域です。人は何故争うのでしょう。肉の働きになってしまうのです。御言葉は「肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである。」(ロ-86)と語っています。

 実は②と④は本来、神の愛に満たされた心で一つのものでした。罪の中に霊が閉じ込められているのです。私たちが生きるのに一番大切なことは、聖霊の導きを信じ④に聖霊を受け入れ、聖霊によって祈り、聖霊によって御言葉を味わい従うのです。そうすれば三つの領域の霊的成長が始まるのです。




≪≪ 私たちの存在を支える人の4つの領域  ≫≫


① 頭 (知識)     |   ② 心 (感情)


③ からだ(健康)   |   ④ 魂 (霊)  






























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by oume-akebono | 2018-02-11 19:22 | 週報メッセージ

(ガラテヤ人への手紙 5章13節)        大谷唯信牧師



「あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい」



信仰生活で日々大切なことは「肉の働き」への対処の仕方です。主は聖霊を助け主として与え、導いて下さいます。「それが来たら、罪と義とさばきとについて、世の人の目を開く」と言われました。開くとは「自らを責めさせる」の意味です。そうなればこの世はリバイバルでしょう。しかし現実としては、その前に自分の肉の働きに目が開かれて心が痛み、救われたはずなのに以前よりもっとひどく肉の働きの罪が自分の中にまだまだあることを発見し、何とかそれを取り除こうと戦い、敗北し、惨めな思いを経験する。そんなことはないでしょうか。多くのクリスチャンが無残にも敗れ、敗北感を心に秘め、確信を失っているのを見ます。



 「誰でもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである」(Ⅱコリント5:17)



 それなのに、なっていない自分を見て焦るのです。人の四つの領域を思い出して下さい(1月14日、21日参照)。①②③はすべて肉なのです。④の魂()の領域に、信仰によってキリストが新しい命となって入って下さいました。国籍は天に移され、神の子とされたのです。これは自分の存在の土台ですから、自分の存在そのものが天に移され、新しくされたのです。基準が心ではなく霊に移りましたから、心の肉が明確に見えるのです。



 肉の働きが見えるのは、霊の命に立っているからです。聖書中の人物でアブラハムからキリストの弟子達まで、肉の働きのなかった者はほとんどいません。霊が成長し深められるほど、肉の働きがさらに分かります。肉の働きがなくなったらどうなりますか。すべてに満足し信仰が駄目になり、黙示録3:17のようになります。肉の働きを嘆いて自分で戦うとこれも肉の働きとなります。Ⅰペテロ2:1のように十字架のもとに捨てる信仰(意識)をもつのです。罪の発見は成長の課題であり、恵みです。喜んで感謝して捨てる。これがディボ―ションとなります。












































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by oume-akebono | 2018-02-04 19:14 | 週報メッセージ

(ガラテヤ人への手紙 6章7~8節)       大谷唯信牧師



「人は自分のまいたものを刈り取るようになる。即ち、自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、霊にまく者は霊から永遠のいのちを刈り取るであろう」



私達、あけぼのキリスト教会は現在、神のあわれみと恵みによって大きな霊的な祝福が与えられています。「わたしの名によって二人または三人が、集まっている所には、わたしもその中にいるのである」(マタイ18:20)「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、即ち、わたしにしたのである」(マタイ25:40)と主は言われました。



私達教会が祝福を受け神の御臨在に満ちた礼拝が与えられているのは、教会の中にこれらの御言葉を祈り実践しておられる「二人または三人」の方がおられると言う事です。何と感謝でしょうか。教会につながり祈りを共にして下さる方、「二人または三人」の方々の御陰で「良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ」(マタイ25:21)と主は粒の小さな信仰を喜ばれる方です。その喜びが私達教会全体の恵みとして与えられているのです。



人ひとりの小さな働きが主に捧げられていく時、大きな恵みとして神は臨んで下さいます。「わたしの名によって集まる二人または三人」とは教会の事です。私達の働きが、決してわたし一人の個人プレーではなく、たとえ一人で行動している時も、常に教会の出来事、主と共にある出来事としての信仰(意識)に立つ時祝福されるのです。この二人、三人が段々と10人、20人…やがて全員になる事を主は願っています。



働きは一人ひとり異なるでしょう。大きい小さいもあるでしょう。大切な事は私達の生活のすべてが心を尽くして主を愛する心でされる事です。「あなた方のからだを聖なる供え物として献げよ。それが霊的な礼拝である」(ローマ12:1)。こうして先週までお話しした第四の霊の領域が深められ全体が霊的に成長するのです。互いのために祈り合いましょう。




























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by oume-akebono | 2018-01-28 16:00 | 週報メッセージ

(箴言 4章4:23)         大谷唯信牧師



「油断することなく、あなたの心を守れ、命の泉は、これから流れ出るからである。」



人間は四つの領域を持った存在である事を先週語りました。聖書はその四つの領域(下部参照)の④を特に取り扱っています。④は他の三つを突き抜け超越した存在であり同時に三つの土台となってそれを支え統合しそれぞれの働きを健全に調和させていく力を持っていたのです。



しかし、アダム達はサタンの誘惑に乗り神に逆らいその罪によって神と断絶し、本来の自然体であった神中心から、自己中心となりました。以来、魂の中には「霊」(神我)ではなく「肉」(自我)で満たされ現在も同じです。これがエゴとなって世界のあらゆる場で悲惨な問題を起こしています。その元凶は人間のエゴでありその後ろをサタンが支えている事を聖書は示しています。



人は霊的存在として造られていますから霊の領域に神の霊が注がれてはじめて生ける者となります。イエスは「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉によって生きる」(マタイ44)又、「人を生かすのは霊であって、肉は何の役にも立たない。私があなたがたに話した言葉は霊であり、また命である」(ヨハネ663)と警告しています。「わたしは命のパン、天から下って来た生きたパンである。それを食べる者はいつまでも生きる」(ヨハネ651)とも語っています。「食べる」とは信じる事です。



①は自分の知識、理解、納得の領域、②は五感等で感じる領域、④は信じ受け入れるしかない領域です。「キリストを受け入れた者、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えた」(ヨハネ112)と聖書は語っています。



冒頭の御言葉は大切です。心を守れ、とありますがどう言うことでしょう。信仰に立つと御霊は②と④を一つにします。④は霊が深まるほど②の肉の自分の罪深さが見えて来ます。これは恵みです。悔い改めさらに豊かにされる恵みです。パウロは自らを罪人のかしらと言いました。人の心の中で肉と霊とがぶつかり合う。ここに日々新たな命が発現する不思議があるのです。





≪≪ 私たちの存在を支える4つの領域  ≫≫


① 頭 (知識)     |   ② 心 (感情)


③ からだ(健康)   |   ④ 魂 (霊)  











































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by oume-akebono | 2018-01-21 15:44 | 週報メッセージ

(創世記 1章27節、2章7節)    大谷唯信牧師



「神(キリスト)は自分のかたちに人を創造された」


「主なる神(キリスト)は土のちりで人を造り、命の息()を吹き入れられた。そこで人は生きた者(=キリストの入る器)となった。」



聖書による人間観は猿からの進化ではなく神による創造です。即ち、単なる動物的存在ではなく神の霊の命を土台とする霊的存在である事を語っています。



下に「私たちの存在を支える四つの要素」としてその領域を示しました。この世の一般の常識では頭、心、からだの統合としていますが聖書ではさらにこの三つの領域を統合しそれぞれの機能をバランスよく機能させ、そのエネルギーの土台となる魂(神の霊なる命を宿す器)を示しています。神の霊なる命とは神のひとり子イエスであり、これを信ずる者の中に聖霊となって住んでくださいます。



故にパウロはイエスを信じ受け入れた方々に「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っている事を知らないのですか」と語っています。魂に宿っている御霊は他の三つの領域()を超えており神の霊と直結しています。この次元は肉の領域では感知できません。ブドウの幹につながっていない枝は命が流れないのと同じです。つながっている枝は豊かに実を結びます。



その実とは、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制等の九つの実です。これらは自分の肉の努力ではなく、キリストを迎え神の宮として立っている者に与えられる神からの霊の賜物です。努力で得たものは肉(エゴ)の力となり良い事でも「肉の働き」になってしまうと注意しています。肉の働きとは「不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り…」私達の内面のネガティブなものすべてです。勿論、信仰を持っても肉の働きは出て来ます。しかし心の奥の土台には私達の命に至る水が湧き出す泉があるのです。



「油断する事なくあなたの心を守れ、命の泉はこれから流れ出る」(箴言4:23)。キリストの力です。今年は、この霊性を深める取組みをいたしましょう。





≪≪ 私たちの存在を支える4つの要素  ≫≫


① 頭 (知識)     |   ② 心 (感情)


③ からだ(健康)   |   ④ 魂 (霊)  
































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by oume-akebono | 2018-01-14 18:59 | 週報メッセージ

(ヨハネの第一の手紙 4章8~9節) 大谷唯信牧師



「神は愛である。神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである」



今年もクリスマスがやって来ました。皆様と共にイェス様の御降誕を祝う礼拝ができます事は何よりの喜びです。幼稚園では毎年恒例のクリスマス・ページェントが行われ、こども達の成長に感動いたしました。



クリスマスはキリストの降誕を祝う日なのですが今では街々がクリスマスツリー、夜は色とりどりのLED電球が突然輝き、クリスマスソング、讃美歌の響き、市民もサンタクロース、プレゼント等々で思いは色々あるとしても12月の風物詩となって生活の中に溶け込んで来ているのではないでしょうか。外国では激しい戦場も一時休戦し静けさに満ちた星空の下、遠くから「きよしこの夜」の合唱が聞こえてきたと言う話も聞いています。兵士は何を考えたでしょうか。「人は何故殺し合うのだろう?」と考えたのかも知れません。150年前のアメリカ南北戦争の時の話です。



キリストが生まれるとの預言はキリストが生まれる750年も前ですが同じような戦禍でした。聖書に示されています。「すべての戦場で、歩兵のはいた靴と、血にまみれた衣とは、火の燃え草となって焼かれる。ひとりのみどり子がわれわれのために生まれた。ひとりの男の子がわれわれに与えられた。」(イザヤ9:5-6)



神は私達を神御自身の絶対愛につなげるためにひとり子イェスを平和の君として与えて下さったのです。



人は平和をとなえるだけで造れません。歴史を見ても現在の世界を見てもわかります。エゴから抜け出せないからです。神の愛につながるならば出来ます。

これがクリスマスです。本当のクリスマスを求めましょう。「愛は寛容であり情け深い。ねたまない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない。自分の利益を求めない。いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。」(Iコリ13:4-8)


























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by oume-akebono | 2017-12-24 18:19 | 週報メッセージ

(ヘブル人への手紙 4章2節)    大谷唯信牧師



「彼らと同じく、わたしたちにも福音が伝えられているのである。しかし、その聞いた御言葉は、彼らには無益であった。それが、聞いた者たちに、信仰によって結びつけられなかったからである。」



聖書は神の啓示によって書かれました。人間の知恵によってではなく神からの聖霊の導きによって書かれたのです(Ⅱテモテ316)。御言葉は私たちを罪から救い、滅びについて、又、生きる目的、意味、在り方等に目を開いて下さいます。



しかもそれは単なる空論の教えではなく、具体的にイスラエルを選び、私達の生活、歴史の現実に中に入り込み、救いとその道を与えて下さるのです。

しかし、イスラエルの人々にとっては「無益」であったと述べているのです。何故でしょう。「それは聞いた者たちに、信仰によって結びつけられなかったからである」と言うわけです。



神の命を受け取るのは「信仰」であって、知識でも感情でもないのです。「神は霊であるから礼拝する者も霊とまことをもって礼拝せよ」と主は言われました。どう言うことでしょう。聖書の人間理解で整理してみましょう。四角を四等分した田の字で四つの領域を見ます。左上を頭(知性・知識)、右上を心(感情)、左下を身体(健康)です。普通この三つの領域で人は生きていますね。しかし、もう一つの領域が残っています。右下です。それはスピリチュアルな魂の領域で、他の三つの領域を超えている存在であり、他を統括する働きをしています。「神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。」(伝道の書311)との御言葉がありますが、聖書は正にこの領域、永遠の神に直結している霊の領域の出来事をリアルに示しているのです。



ここにキリストをお迎えし共に生きることが信仰生活です。ここに命が入ると、その上にある心が生き生きとし頭も体も元気になります。聖霊は神の約束ですから、私達はこれを自分の信仰告白として受け入れ祈り宣言していく時、神の御臨在の中を歩む事になるのです。「十字架の言が神の力となる」が実感となるでしょう。
































  


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by oume-akebono | 2017-12-17 16:01 | 週報メッセージ

(ヨハネによる福音書 37章37~38節)    大谷唯信牧師



「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」



イエスを信じる者には誰でも聖霊が与えられます。これはイエス様の十字架以前からの約束でした。「わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。それは真理の御霊である。」(ヨハネ14:16



ところが「自分には聖霊が来られているかどうかわからない」と悩んでいる方がおられると思います。主は言われました。「この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受ける事ができない」と。しかし「あなた方はそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたの内にいるからである」と言われています。しかも「私はあなたがたを捨てて、孤児とはしない」とまで約束しておられるのです。



このところ、わたしは連盟総会や東京連合の集い等に参加し、諸教会やその方々にお会いするのですが一つ大きな心配を感じています。それは「この方々には牧師も含め本当に生ける主と出会っているのかしら?」という疑問です。確かに御言葉を語り、祈ってもいます。でも生きた信仰が感じられない方がふえているように思えることです。「富める青年信者」であり「ニコデモ信者」を見るのです。即ち、永遠の命と言う深い問題を主に求めながら、主の答えに対して「そんな事は小さい時から知って守っていますよ。他に何かないですか?」と知っているがために何も聞かず、深めることもしない青年、又、パリサイ人、サンヘドリンの議員でもあったユダヤ人の宗教指導者ニコデモは、挨拶の一言だけで「誰でも新しく生まれなければ、神の国を見る事は出来ない」と正に全面否定されてしまったのです。ところで私達はどうでしょうか。信仰に立つのです。火の消えたストーブに火と書いた紙を貼りつけてあたっていたり、火が消えかかっているのに放置している事はないでしょうか。見えてるもの影には見えないがそこに必ず求めるべきビジョンがあるのですが。






































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by oume-akebono | 2017-12-03 17:55 | 週報メッセージ

(ローマ人への手紙 12章11~12節)      大谷唯信牧師



「熱心で、うむことなく、霊に燃え、主に仕え、望みをいだいて喜び、患難に耐え、常に祈りなさい。



聖書(御言葉)は神の約束です。ならば、聖書は私の信仰告白であると応答していきましょう。まず、信じ祈ることです。預言者も、イエスご自身も祈りによって道が開けました。ただ主の御名によってのみ祈って下さい。「わたしの名によって願うことは、なんでもかなえてあげよう。父が子によって栄光をお受けになるためである。」(ヨハネによる福音書14:13



悔い改め、信仰、祈りは御霊でひとつにされます。主の祈りのように、いつでもできる祈りを持つのも大きな助けとなります。祈りは実践です。多くの人が実践し、祝福されている祈りを紹介しましょう。



「天のお父様、今あなたに全てを明け渡します。あなたに全てを委ねます。私の体も、魂も、霊も、家族も、仕事も、経済的な全ての状況も、私の弱さも、強さも、私の過去も、現在も、未来も、全てを永遠にあなたにお委ねいたします。主よ、私の全ての罪、不義、私の冷たい心、、私の信頼のなさ、私が今まであなたを悲しませてきた全てのことに、悔い改める心を与えて下さい。主よ、あなたを喜ばす方向へと、向きを変えて進めるように、私に力を与えて下さい」。



「聖霊様、今あなたを私の人生に歓迎いたします。あなたを讃美し、愛します。どうかイエス様を通して、私が求めてきたものを天のお父様から受取れるよう助けて下さい。あなたとの交わりに入れるように、助けて下さい。自分ではどうしたらよいのかわからないのです。あなたの臨在がはっきりとわかり、あなたの御声が聞こえるように助けて下さい。従うことを約束いたします」。



「主イエス様、私が従い学ぶように御霊の油を注いで下さい。私の周りの人々や、あなたが私の所に連れてこられる人々に触れられるように、あなたの力を与えて下さい。次になすべきことをも示して下さい。主イエスの名によってお祈りいたします」。



神の臨在に触れる期待の心で、祈って下さい。



































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by oume-akebono | 2017-11-26 18:50 | 週報メッセージ

(ヨハネの第一の手紙 4章18~19節)        大谷唯信牧師



「愛には恐れがない。完全な愛は恐れを取り除く。わたし達が愛し合うのは神がまずわたし達を愛して下さったからである。」



神は私達のすべてを御存知であり、御自分の御手の中で私達を包み導いておられます。私達にとって良い出来事も悪い出来事も神はすべてを主の訓練の時にして下さいます。あなたには恐れがありますか。上の御言葉を読み、十字架のイエスの愛の中に身を置いてみましょう。



神は独り子イエスをこの世に賜わり、私達の罪を贖い、死から永遠の命に移る道となられました。主の救いの御業はすでに完成され、私達に差し出されているのです。御言葉(聖書)は神の約束です。であるならば、「聖書は私の信仰です」と応答しましょう。さらに「その名を信じた者には神の子となる力を与えた」と、すでに完了している形で言い表しているのです。しかも、「それは血すじによらず、肉の欲、人の欲によらず、ただ、神によって生まれた」(ヨハネ1:12-13)とあります。この世が普通、人に対して求めるような条件を神は求めていません。ただイエスを信じる信仰のみを求めておられます。ところが「自分の民はこれを受け入れなかった」。信じなかったのです。何故でしょう。最初の人アダムはサタンの誘惑に乗り、神を拒絶したのです。神の霊なる命を失い、肉(エゴ)の心になったと聖書は語っています。



神は聖書によって神を現して下さいました。私達人間が神を知り神と出会っていくためには、どのような態度で取り組むべきかを教えているのです。聖書は人間の知識によって研究され書かれたものではなく、神からの啓示によって書かれました。人間の肉の目では神の霊の領域は見えません。神はイスラエルの歴史の現実の中にかかわり、救いの計画を啓示され、律法を文字で与え、その完成としてイエス・キリストの十字架の出来事を目に見える啓示として与えて下さったのです。現在の私達にこの福音が伝わるまでに6000年もかかっています。



現代社会は恐れ、不安、恐怖で満ちています。神の愛が必要です。神の愛とはイエス・キリストです。





























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by oume-akebono | 2017-11-19 16:57 | 週報メッセージ