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2016年 02月 15日 ( 1 )

(創世記 32章24節 )        大谷唯信牧師


「ヤコブはひとりあとに残ったが、ひとりの人が、夜明けまで彼と組打ちした。 」


 信仰生活は日々聖霊の助けによってのみ支えられる事を知ろう。聖霊なしの信仰は頭での知識と理解だけであって生きてはいない。律法的であり教条的である。本人は真面目で几帳面に頑張っていても、次第に初めの感動は失せ、無味乾燥となり重荷とさえ思えるようになってくる。孤独で暗く無気力になったり、実に辛いものだ。だがこれは霊的に次の成長段階に行くべきサインでもあるのだ。


神は時に、自分を支えているあらゆるものを取り外すことがある。自分の健康、能力、得意とする賜物、仕事、家庭、自分を支えているはずの信仰でさえもである。全て何もない無力の中に落とし込む。


「ヤコブはひとりあとに残った」とある。彼は賢く、さらに神の特別な祝福を受け、何をやっても成功し、莫大な財産と家庭を得て家族と共に故郷へ帰ろうとしていた。しかし途中、兄エサウが自分を殺そうと待ち受けている事を知り、恐れ、兄の怒りを和らげるため莫大な貢ぎ物を車に、一群、二群、三群と先に行かせ、最後に妻と子供を行かせる策を講じた。それでも恐れは消えず一人だけヤボクの渡しに残ったのであった。 彼は恐れと不安の中で自信もプライドも失い、家族や全ての財産をも切り離して、闇の夜をひとりぼっちで死の恐怖の中に取り残されていたのである。


ところがこの最悪の晩こそが最高の栄光ある出来事が起きた晩となった。「ひとりの人が、夜明けまで彼と組打ちした」。 ここに神との出会いが起きたのだ。彼はこの世で全きひとりとなって真正面から自分の実情、苦しみ、悲しみ、弱さ、罪深さを正直に自分の存在そのものだけになって神に叫び訴え、泣き、呻き、「主よわたしをあわれんで下さい、祝福して下さるまではあなたを離しません」と神に願うまでになった。


主の前に自分を捨て、得ではなく損を取ったのだ。全託でもある。主の御心の中に自分を浸し沈めていく、「そうすれば主が高くして下さる」(ヤコブ4:10)
これが霊的人生の法則である。
by oume-akebono | 2016-02-15 15:22 | 週報メッセージ