(ローマ人への手紙 4章16節)     大谷唯信牧師


「すべては信仰によるのである。それは恵みによるのであって、すべての子孫に、即ち、律法に立つ者だけにではなく、アブラハムの信仰に従う者にも、この約束が保証されるのである。」


 神は常に人を選び用いて御自分の救いの働きを進められる。決して神単独ではなさらない。どんな時にも人を用いてなさるのが神のやり方なのだ。神は人の心の内に語りかけその人の人格を重んじその人の意志、決断を促し信仰によって歩むように導かれる。「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう」(創世記12:1-2)


アブラハムはこの約束の言葉を信じてこれを実行したのである。二千年後のヘブル書には「信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った」(ヘブル11:8)と記している。聖書が啓示する本来の世界、本来の人間の命、その力を神の霊なる命の領域から出るものでありその入り口は信仰なのである。


現代は目で見える物理的世界、封建社会から民主社会、平等、多数決、個人の権利、一致、平和等々といろいろ論じられるが結局は黒か白かの戦いであり灰色でしかないこの世はこれが現実であり、どんなにあがいても空まわりであり出られない。


しかしここからの脱出が聖書が示すアブラハムの信仰なのである。論外の世界だ。「彼はこの神、即ち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである。彼は望み得ないのに、なおも望みつつ信じた。およそ百才となって彼自身のからだが死んだ状態であり、また、サラの胎が不妊であるのを認めながらも、なお彼の信仰は弱らなかった。神の約束を不信仰のゆえに疑うような事はせずかえって信仰によって強められその約束は必ず成就すると確信した」(ロマ4:17-21)のである。私達もすべてを信仰による行いとして取り組もうではないか。
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by oume-akebono | 2016-01-24 15:05 | 週報メッセージ