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2008年 03月 31日 ( 2 )

3月30日 週報より

◆梅の満開で週日観光客が到来する毎日でしたが、続いて桜が咲いてきました。私達はこの自然の美しい中で礼拝できるのですから何と感謝なことでしょう。今日も心からの礼拝を捧げ神を讃美いたしましょう。

◆本日の礼拝は「春の霊交会」としての礼拝です。礼拝後昼食をはさんで午後4時半迄の予定で開かれます。テーマは「セルグループのさらなる充実と発展」についてとし、学びと語りあいの時を持ちます。私達、青梅あけぼのキリスト教会が神の家族としてより健康的に成長する良きチャンスです。ふるって御参加下さい。

◆本日は板橋伝道所の皆様も来られております。良い交わりをなさって下さい。

◆C.Sの子供達のジョイジョイキャンプも祝され、無事に終わりました。お祈り感謝いたします。本日礼拝にて証しをしていただきます。

◆中高生のキャンプ、ジョイジョイユースは明日より3日間軽井沢恵みシャレーで開かれます。参加者は木下みさき、難波美沙貴、相馬ひかり、田中詩。リーダー 相山知寛です。

◆執事会は4月5日(土)午後8時からです。


教会の祈り

①牧師の信仰、霊性、牧会力向上
②互いに牧会し合うセルの充実
③皆が150人礼拝を信仰で観ること

by oume-akebono | 2008-03-31 19:25 | 報告

(Ⅰコリント1:18)  大谷 唯信 牧師  

「十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である。」

十字架の言とは十字架のイエスである。ゴルゴダの十字架のまわりには祭司、律法学者をはじめ多くの人々が近くでこの神の出来事、全人類に於いて一度だけの歴史的出来事が目の前で起きていたのだが、彼らにとっては全く無意味な馬鹿馬鹿しい出来事だった。パウロ自身そのように受け取っていた一人であった。

しかし復活の主に出会って目が開かれて見ると、ここにこそ神の深い愛の御業があることに気がついたのである。滅び行く者とはイエスを信じない者である。信じない者には全く愚かなこと。これは現代の我々の世界でも同じ事である。救にあずかるとは信じる者である。信じたその瞬間から神の生命が流れ込んでくる。人々は中々信じることができない。それは何とか生きよう、生きようとしているからである。

できる限り背伸びをし、より正しく、より完全に、より豊かにと、努力の繰り返しで遂には挫折である。イエスが「命を得ようとする者は失い、捨てるものが得る」と言われている通りである。イエスは生きようとして自分の命にしがみついたのではなかった。神の御心に従って自分の命を捨てたのだ。「十字架の死」を選んだのだ。それが「十字架の命」となったのである。十字架の死を通って復活の命、即ち神からの新たな命となったのである。

私達も本当に生きようとするならイエスと共に十字架の死を持って死ぬことである。「キリストと共に私は死んだ」と宣言する時に命が神の力となって与えられるのである。
by oume-akebono | 2008-03-31 19:20 | 週報メッセージ