2009年 05月 24日
5月24日 信仰に命を!
(ローマ人への手紙4:20-21) 大谷 唯信 牧師
「彼は、神の約束を不信仰のゆえに疑うようなことはせず、かえって信仰によって強められ、栄光を神に帰し、神はその約束された事を、また成就することができると確信した。」
神はアブラハムに天の星のように、地の砂粒のように多くの子孫を得させ祝福すると約束された。(創12:2)
しかし、妻サラは不妊であったのだ。しかも、約束を待ち続け百歳にもなっていた。
ところが聖書は語る。「彼はサラの胎が不妊であるのを認めながらも、なお彼の信仰は弱らなかった」と。何と強い信仰なのだろう。自分にはとても無理と思えてしまうのではなかろうか。それが普通である。何をするにしても自分の力でできるか否かは考えるであろう。買い物でも自分の持ち金を見てするものだ。
ところが信仰の領域は少し勝手が違う事を知る必要があろう。信仰は自分の力ではなく上から与えられる賜物である。はじめは「信じて見ようかな」と思える程度の弱いもので良い。アブラハムも初めは弱かった。弱い足どりでも神に従ったのだ。ますます何もできないと感じつつも、だから神に寄り頼み従った。
多くの人は御言葉を聞いても、自分の常識や経験で受け取れるものだけにしてしまう。大きな神の力を自分のものさしで制限してしまっている。自分のではなく神の力によって生きようとすべきだ。御聖霊が必ず助け生きる確信となって下さる。信仰を持つとは神の確信に立つ事だ。確信が信仰に命を吹き込むのである。
「彼は、神の約束を不信仰のゆえに疑うようなことはせず、かえって信仰によって強められ、栄光を神に帰し、神はその約束された事を、また成就することができると確信した。」
神はアブラハムに天の星のように、地の砂粒のように多くの子孫を得させ祝福すると約束された。(創12:2)
しかし、妻サラは不妊であったのだ。しかも、約束を待ち続け百歳にもなっていた。
ところが聖書は語る。「彼はサラの胎が不妊であるのを認めながらも、なお彼の信仰は弱らなかった」と。何と強い信仰なのだろう。自分にはとても無理と思えてしまうのではなかろうか。それが普通である。何をするにしても自分の力でできるか否かは考えるであろう。買い物でも自分の持ち金を見てするものだ。
ところが信仰の領域は少し勝手が違う事を知る必要があろう。信仰は自分の力ではなく上から与えられる賜物である。はじめは「信じて見ようかな」と思える程度の弱いもので良い。アブラハムも初めは弱かった。弱い足どりでも神に従ったのだ。ますます何もできないと感じつつも、だから神に寄り頼み従った。
多くの人は御言葉を聞いても、自分の常識や経験で受け取れるものだけにしてしまう。大きな神の力を自分のものさしで制限してしまっている。自分のではなく神の力によって生きようとすべきだ。御聖霊が必ず助け生きる確信となって下さる。信仰を持つとは神の確信に立つ事だ。確信が信仰に命を吹き込むのである。
by oume-akebono
| 2009-05-24 15:16
| 週報メッセージ