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青梅あけぼのキリスト教会 omeakebono.exblog.jp

青梅あけぼのキリスト教会 日本バプテスト連盟 牧師 : 大谷唯信 副牧師 : 森元國文 〒198-0063 青梅市梅郷3-904-3 ☎︎0428-76-0634


by oume-akebono
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11月23日  変えられたペテロ

(使途行伝 3:6)  大谷 唯信 牧師


「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」


無力であったイエスの弟子ペテロ達は聖霊の注ぎを受けて以来、別人のように力のある人となった。ここでは生まれながらの足のきかない男がペテロ達の信仰による一言で「立ちどころに強くなって、踊りあがって立ち、歩き出した。」(使途行伝3:7)のである。

驚く人々に対して「なぜこの事を不思議に思うのか。わたしではない。イエスの名がそれを信じる信仰のゆえに、このとおり完全にいやしたのである。」とペテロは驕るのでも自慢げでもなく、ごく自然の事として語っている。

これがキリストの教会に与えられている神の力、神の出来事なのである。ここ迄もの力が私達すべての教会に可能性として現在も与えられている事を私達は知っておくべきだと思う。
ただこれをどこまで深く受けとめるかは私達の求める信仰にかかっている。「金銀はわたしにはない」金銀とはこの世の力、知識、経済の象徴であろう。それが「わたしには無い」と言い切った。だから駄目なのではない。「しかし」なのである。

「不妊であるのを認めながらも、なお彼の信仰は弱らなかった。」(ローマ人への手紙4:19)アブラハムを思い出す。「わたしにあるものをあげよう」。あるものとは、わたしのもっているもの、すなわち、「イエスの御名」であったのだ。「イエスの名がそれを信じる信仰のゆえにこの人を強くしたのであり完全にいやしたのである」とペテロは語る。彼はイエスの十字架と共に肉は死に、イエスの復活と共に霊が生きる恵みを得たからである。私達もこの信仰に立とうではないか。
by oume-akebono | 2008-11-23 23:55 | 週報メッセージ