2008年 09月 14日
9月14日 秘かな自信に要注意
(箴言3:5-6) 大谷 唯信 牧師
「心をつくして主に信頼せよ、自分の知識に頼ってはならない。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる」
神は心から主に信頼する者を必ず祝福して下さる。どんな困難があろうが関係はない。「主がまっすぐにされる」のである。あなたは主に信頼しているだろうか。
何となくとか習慣でではない。「心をつくして」である。と言う事は、意識して、信仰を持って、時には必死になって主に信頼を置くことであろう。
詩篇62:8では「民よ、いかなる時にも神に信頼せよ。そのみ前にあなたがたの心を注ぎ出せ」とある。
それだけ人の心は神から離れ、自分の知識や経験、この世の力に頼るのが普通になってしまっているのだ。
罪とはこの世の善悪の事ではない。神に頼らず、神から分離し自分独自で歩む事を言う。人は神から離れては神の命はなく、エゴである肉の命しかない。それはどんなに繁栄しても死であるのだ。一般的には神に頼むなど弱い人間のやる事と思われている。能力のある者、自信のある者、自分の力で成功し豊かな生活をしている者が神を求めるのは難しい。これが罪の支配なのだ。しかも、彼らは態度も親切で愛情深く、謙遜で忍耐強い。人間としても我々クリスチャンよりも立派と思える人も多い。
ところが、これは神からのものではなく、自己(肉)から出たものであるのだ。たとえどんなに良くてもそれは死なのである。
「肉は肉でありその思いは死であり、神に敵する」(ロマ8:6-7)
ものである。だが私達クリスチャンでも、神によっての集まりでありながらいつの間にか自己に立ち、自己の力(肉)で信仰生活をしていることがある。秘かな自信がそうさせるのである。
「心をつくして主に信頼せよ、自分の知識に頼ってはならない。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる」
神は心から主に信頼する者を必ず祝福して下さる。どんな困難があろうが関係はない。「主がまっすぐにされる」のである。あなたは主に信頼しているだろうか。
何となくとか習慣でではない。「心をつくして」である。と言う事は、意識して、信仰を持って、時には必死になって主に信頼を置くことであろう。
詩篇62:8では「民よ、いかなる時にも神に信頼せよ。そのみ前にあなたがたの心を注ぎ出せ」とある。
それだけ人の心は神から離れ、自分の知識や経験、この世の力に頼るのが普通になってしまっているのだ。
罪とはこの世の善悪の事ではない。神に頼らず、神から分離し自分独自で歩む事を言う。人は神から離れては神の命はなく、エゴである肉の命しかない。それはどんなに繁栄しても死であるのだ。一般的には神に頼むなど弱い人間のやる事と思われている。能力のある者、自信のある者、自分の力で成功し豊かな生活をしている者が神を求めるのは難しい。これが罪の支配なのだ。しかも、彼らは態度も親切で愛情深く、謙遜で忍耐強い。人間としても我々クリスチャンよりも立派と思える人も多い。
ところが、これは神からのものではなく、自己(肉)から出たものであるのだ。たとえどんなに良くてもそれは死なのである。
「肉は肉でありその思いは死であり、神に敵する」(ロマ8:6-7)
ものである。だが私達クリスチャンでも、神によっての集まりでありながらいつの間にか自己に立ち、自己の力(肉)で信仰生活をしていることがある。秘かな自信がそうさせるのである。
by oume-akebono
| 2008-09-14 07:13
| 週報メッセージ