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3月30日 十字架の死と命

(Ⅰコリント1:18)  大谷 唯信 牧師  

「十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である。」

十字架の言とは十字架のイエスである。ゴルゴダの十字架のまわりには祭司、律法学者をはじめ多くの人々が近くでこの神の出来事、全人類に於いて一度だけの歴史的出来事が目の前で起きていたのだが、彼らにとっては全く無意味な馬鹿馬鹿しい出来事だった。パウロ自身そのように受け取っていた一人であった。

しかし復活の主に出会って目が開かれて見ると、ここにこそ神の深い愛の御業があることに気がついたのである。滅び行く者とはイエスを信じない者である。信じない者には全く愚かなこと。これは現代の我々の世界でも同じ事である。救にあずかるとは信じる者である。信じたその瞬間から神の生命が流れ込んでくる。人々は中々信じることができない。それは何とか生きよう、生きようとしているからである。

できる限り背伸びをし、より正しく、より完全に、より豊かにと、努力の繰り返しで遂には挫折である。イエスが「命を得ようとする者は失い、捨てるものが得る」と言われている通りである。イエスは生きようとして自分の命にしがみついたのではなかった。神の御心に従って自分の命を捨てたのだ。「十字架の死」を選んだのだ。それが「十字架の命」となったのである。十字架の死を通って復活の命、即ち神からの新たな命となったのである。

私達も本当に生きようとするならイエスと共に十字架の死を持って死ぬことである。「キリストと共に私は死んだ」と宣言する時に命が神の力となって与えられるのである。
by oume-akebono | 2008-03-31 19:20 | 週報メッセージ