2007年 09月 30日
9月30日 魂の叫びを放て
マルコ10:47~48 大谷 唯信 牧師
「ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんで下さい」と叫びだした。多くの人々は彼を叱って黙らせようとしたが、彼はますます激しく叫びつづけた」
現代人は心の奥にある魂からの叫びを忘れてしまっている。どんなに幸せな人間でも心の奥には満たされなかった暗い部分、言い知れぬ孤独感、不安、恐れがあるものである。
相手が心配してどんなに手をさしのべても届かない。自分でもよくわからない。
どうにもならない不安と恐れである。
しかし、大半の人は身のまわりの忙しさや楽しさで結構心のバランスを取る事を経験的に学んでいく。しかし解決はしていないのである。子どもの頃の一寸した両親の理解のない一言が心に突き刺さり痛みとなってその根源的な恐れと不安を拡げる場合もある。
勿論両親はそんな積もりもなく愛情いっぱいなのだ。
やがて年齢と共に成長し社会に出ていくのであるが問題は全く解決していないのである。
地下のマグマのようにいつ噴火するかわからない。不安があると理性というアスファルトで敷きつめた道路のように整備してしまう。一見きれいにはなるが何も解決はしていない。
根源的な魂の叫びを心の奥に封じ込んでしまっているのだ。
そのため社会や人に対する不平、不満に怒りは満ちる事になる。その根本が解決されていないからだ。
バルテマイはその解決を得たのである。盲人であり乞食であったがために幸いした。
自分に絶望したからこそ無我夢中でイエスに向かって魂の叫びを叫び続けることができたのであった。
「ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんで下さい」と叫びだした。多くの人々は彼を叱って黙らせようとしたが、彼はますます激しく叫びつづけた」
現代人は心の奥にある魂からの叫びを忘れてしまっている。どんなに幸せな人間でも心の奥には満たされなかった暗い部分、言い知れぬ孤独感、不安、恐れがあるものである。
相手が心配してどんなに手をさしのべても届かない。自分でもよくわからない。
どうにもならない不安と恐れである。
しかし、大半の人は身のまわりの忙しさや楽しさで結構心のバランスを取る事を経験的に学んでいく。しかし解決はしていないのである。子どもの頃の一寸した両親の理解のない一言が心に突き刺さり痛みとなってその根源的な恐れと不安を拡げる場合もある。
勿論両親はそんな積もりもなく愛情いっぱいなのだ。
やがて年齢と共に成長し社会に出ていくのであるが問題は全く解決していないのである。
地下のマグマのようにいつ噴火するかわからない。不安があると理性というアスファルトで敷きつめた道路のように整備してしまう。一見きれいにはなるが何も解決はしていない。
根源的な魂の叫びを心の奥に封じ込んでしまっているのだ。
そのため社会や人に対する不平、不満に怒りは満ちる事になる。その根本が解決されていないからだ。
バルテマイはその解決を得たのである。盲人であり乞食であったがために幸いした。
自分に絶望したからこそ無我夢中でイエスに向かって魂の叫びを叫び続けることができたのであった。
by oume-akebono
| 2007-09-30 18:56
| 週報メッセージ