1月12日 真に生きていますか
(マタイによる福音書 4章4節) 大谷唯信牧師
「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉で生きるのである」
この世の霊的な命はすでに死んでいる。だから、この世の教育がいかに優れたものであっても人を造らず人を生かさない。全て死の教育でしかない事に世は気付くべきであろう。
イエスは言われた「人を生かすのは霊であって肉は何の役にも立たない」(ヨハネ6:63)と。この世の営みは全て肉の領域であって人を生かす霊なる神の命ではないのである。ユダヤ人は神から律法が与えられたが、自らの行いの中に落としめ、単なる規則、規範、戒律如きの無力な文字としてしまい、もはや神の命不在の律法とし「霊によらず文字だけの外見上のユダヤ人」(ローマ2:28)になってしまった。
だが彼らが誇りとしていた父祖アブラハムは信仰の人であった。「彼は死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じた。彼は望みえないのになおも望みつつ信じた」「サラの胎が不妊であるのを認めながらも、なお、彼の信仰は弱らなかった」「神の約束を不信仰のゆえに疑うようなことをせず、かえって信仰によって強められ栄光を神に帰し、神の約束を確信した」(ローマ4:17-21)。
しかしユダヤ人は律法の行いを自らの義とし、自分を誇っていたのである。その点、知識や科学を頼みとし、自らの力を誇りとする現代人も同じ事をしているのではなかろうか。一見豊かに見える世界経済も一つのつまずきで世界中がガタガタになっているではないか。日本の政治、経済、教育、いずれも出来事が見えず、行き先も分からずその貧困さを露呈している。結局バベルの塔しか築けない私達人類は今こそ「人はパンのみではなく」真の食物である神の命を得る必要に気付かねばならないのではないか。