8月11日 確信に生きよ
(ガラテヤ人への手紙 1章1節) 大谷唯信牧師
「人々からでもなく、人によってでもなく、イエス・キリストと彼を死人の中からよみがえらせた父なる神とによって立てられた使徒パウロ」
私達青梅あけぼのキリスト教会は、今や多くの兄弟姉妹方の信仰による働きによって躍進している。毎週の礼拝を通じ、又祈祷会やセルグループ、教会学校、プレイルーム等々を通して、そこで重荷を負う事によって大きく成長する恵みにあずかっているのである。
一つの事をするためには数えきれない程の働きが・・・裏方の企画、準備、その段取り等、人目にふれない陰での働きを多くの方々が負って下さっている。何と感謝なことであろうか。これらの事を一番喜んでおられるのは主御自身である。私達はこれからも必要に応じていろいろな活動をしていく事であろう。
しかし私達の目的はその一つ一つの活動を成功させることではない。その目標に向かいながらもっと大切な目的がある事を覚えよう。それはパウロが言うように「キリストは聖徒たちをととのえて奉仕のわざをさせ、キリストのからだを建てさせ、わたしたちすべての者が、神の子を信じる信仰の一致と彼を知る知識の一致とに到達し、全き人となり、ついに、キリストの満ちみちた徳の高さにまで至るためである」(エペソ14:12-13)と言う事である。
私達の成長が教会の成長なのだ。私達の成長とは肉から霊の領域に変化する事である。この世はすべて肉(自分中心)で動いている。私達の中にも肉の部分は今だに沢山あるだろう。それがいくらかでも霊の命に変化する。霊的に深められると肉が見えてくる。肉の人には霊はわからず肉は当たり前で問題はないのだ。だから求めようとはしない。何を求めるのかもわからないのである。
ここで私達はもう一皮むける必要があろう。そのためには冒頭の御言葉である。「人々からでもなく、人によってでもなく」「ただイエス・キリストの啓示によった」とパウロは語る。信仰の確信はここからくるからである。