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青梅あけぼのキリスト教会 omeakebono.exblog.jp

青梅あけぼのキリスト教会 日本バプテスト連盟 牧師 : 大谷唯信 副牧師 : 森元國文 〒198-0063 青梅市梅郷3-904-3 ☎︎0428-76-0634


by oume-akebono
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6月23日 自分を手放せ

(ローマ人への手紙 12章 1節)     大谷唯信牧師



「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それがあなたがたのなすべき霊的な礼拝である」



今日は気分がいいとか悪いとか、落ち込んだ、イラだっている、やる気がない、祈れない等々の気分に振りまわされている人が何と多いことか。そんな事はどっちでもよいのだ。生きていれば近頃の天気のようにいきなり雨が降ったりやんだり、雷が鳴ったり地震があったりで何でもありが人生である。自分にしがみついてはいけない。自分を解放し手放すのだ。「自分の命を得ようとする者は失い、捨てる者が得る」とは命の原則である。私達は仕事をするのも休むのも、飲むのも食べるのも、生きるのも死ぬのも主のため、とパウロは語っている。



即ち、私達は日々、生活の出来事に向かっているわけだが単にそれをしているのではない。それらを通して神と出会い、神への応答として神のためにしていると言う意識(信仰)を持つ事が大切なのだ。普通の人はただ仕事をし自分のため、人のため、金のためで生きている。私達はすべての事がそこで留まらず、何をしていても神のため、神の出来事として行うと言う意識に持っていく、自分とか人とかの次元ではなく神との出来事としての信仰によって取り組むのである。



するとサタンは「そのような信仰が本当にあるのか」「あなたは聖なる供え物となっているのか、もう少し準備をしてからにしたら…」等ともっともな事を言って足を引っぱるから気をつけねばならない。そんな事はどうでもいいのだ。現実の有りのままの自分をそのまま主の前に投げ出し、主を拝していく、その時主がそれを聖め生きたものとして下さるのである。自分で自分を聖める等できる訳がないではないか。ただその信仰で心を尽して主に捧げていくのである。



自分にしがみついてはいけない。自分を手放す程に聖霊が入り信仰の世界は拡がり確実なものになってくるから不思議である。


























by oume-akebono | 2019-06-23 18:24 | 週報メッセージ