2月10日 逆境は恵みと捕らえよ
(詩篇 23篇4節) 大谷唯信牧師
「たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。」
聖書、特に詩篇を読むごとに新鮮な驚きがある。ダビデの絶対的な神への信頼姿勢である。どんな窮地に追い込まれようと、どんな逆境に立たされようと神への信頼はゆるぎなく絶対的な信頼として保持していくその姿勢である。嬉しくても悲しくても、強い時、弱い時、もう何もかも信じられなくなってしまった時、ますますダビデは神への信頼を絶対的なもの、生きている自分の命の大前提として位置づけていくその信仰には圧倒されるのである。
「まず自分の内側を整える」とはこう言う事なのだ。自分に今、信仰があるのか、どうか、自分は肉なのか霊なのかを自分に問うのではない。そんな事は何の役にも立たない。自分に不信仰、肉を見たならば直ちに自分から目を離して主を仰ぎ見る事が大切なのである。自分を整えてから主に従えとささやくのはサタンである。
のどが渇いたなら水を飲むではないか。「何故、のどが渇いたのか、渇くとはどういう事か?」等といつまでも議論をしているだろうか。「とは言っても水にもいろいろある・・・」と議論は際限がない。水は単純に飲む者であっても信仰となると議論ばかりを延々として一向に飲まない人や教会が増えている。しかも議論をして何か納得すると飲んだ気になってしまうから困るのである。サタンの思う壺だ。
ダビデは直ちに「主よ、わたしをあわれんで下さい。わたしは弱り衰えています。悩み苦しんでいます」と主を仰ぐ。これが「霊の思い」とされ真実な生き方に目が開かれる時なのである。