11月18日 教会の使命

(箴言24:11)      大谷唯信牧師



「死地にひかれゆく者を助け出せ、滅びによろめきゆく者を救え」



私達は福音のメッセージを聞く時にいつの間にか一つの文化講演を聞くのと同じように聞いてないだろうか。聖書の学び会も一般の読書会のような単なる文化会の一つのようになってないかと自らを問うてみる事は大切である。メッセージを行う者はなおさらのことだ。



私達青梅あけぼのキリスト教会は主の恵みによって育まれ、ある程度の形が少しではあるが見えるようになってきた。これは主の憐みである。私達は実に弱く未熟な者の集まりである。だからよいのだ。私達は弱く未熟であるが故に主は捕えて下さり、これを教会として下さったのだ。教会には神の命があり、救いがあり、私達の思いをはるかに超えている力がある。



教会は主が頭となって未熟で弱い私達を御自分の体とし、世に対する神の救いの遠大な御計画の実践を託されたのである。私達は神に選ばれたのである。さらにまだクリスチャンになっておられないあなたにも神の選びは向けられており、招かれている事を知ってほしい。神は全人類の救いのために私達やあなたを必要とされ、御自分の救いのプロジェクトのメンバーとして用いたいのである。



私達は教会をキリスト教的文化団体としてはならない。今やその分岐点にある。この世は神の光を失い闇につつまれ、人々は罪の滅びの海に投げ出されている事を知ろう。独り子イエスによって救いの御業はすでに成し遂げられている。イエスはノアの箱舟となって人々を招いておられる。「あなたは人間をとる漁師になるのだ」(ルカ5:11)この御言葉を受けとめる者は誰か。
















by oume-akebono | 2018-11-18 16:35 | 週報メッセージ