11月11日 神の側に立つ

(ローマ人への手紙 1章1節)      大谷唯信牧師



「キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び別たれ、召されて使徒となったパウロ」



わたし達クリスチャンはすでに神の側に召されて立っている者です。どう言う事でしょうか。わたしはわたしであってわたしではないのです。



パウロは自分の自己紹介の一番に自分の事をキリスト・イエスの僕、即ち奴隷と言ったのです。奴隷は言うまでもなく自分を中心に自分の思いのまま動くのではありません。自分の仕える御主人の手足となって忠実に仕える者です。常に自分の側ではなく御主人の側に立ち御主人の心、言葉を聞き、従う者です。この関係の中にいる限り御主人の僕としての身分も安全に保障され御主人の守りの中にいる訳です。「わたしにつながっていなさい。そうすればわたしはあなたがたとつながっていよう。その人は豊かに実を結ぶようになる」とキリストが保障して下さっているのです。



イエスの弟子達は同じ船の中にいながらも突然の嵐に驚き「主よ、助けて下さい。わたし達は死にそうです」と泣きついたのです。主は「何故こわがるのか。信仰の薄い者よ」と言いながら嵐を沈めて下さいました。ルカ八章の同じ記事では「あなたがたの信仰はどこにあるのか」と言われています。弟子達は困難にぶつかると瞬間に神の側ではなく自分(肉)の側に立ってしまったのです。



信仰とは神の側に立ち続ける事です。箴言四章では「油断することなく自分の心を守れ」と言われています。どう言う事でしょう。わたしはわたしであってわたしではないのです。キリストの僕です。すべての事をわたしではなくキリストの名によって取り組むのが忠実な僕です。パウロは「今立っているこの恵みに信仰に立って導き入れられ、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる」と語り、さらに「患難をも喜んでいる」何故でしょう。患難を喜べる人はいません。しかしイエスの名によって患難を喜んで取り組む時、患難が忍耐を忍耐が練達を、練達が希望を生み出す事がわかったのです。「神の側に立つ」恵みです。




























by oume-akebono | 2018-11-11 16:30 | 週報メッセージ