8月19日 肉の心は砕かれよ

(Ⅰコリント 1:28-31)      大谷唯信牧師



「神は、この世で身分の低い者や軽んじられている者、即ち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。それはどんな人間でも神のみまえに誇ることがないためである。誇る者は主を誇れ。」



教会が本当に成長するには、この御言葉の如く「神は無きに等しい者を、あえて選んで下さった」、それは私自身の事だ!とわかった人が何人いるかにかかっている。御聖霊は心の砕けに応じて注がれるからである。「血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず..(ヨハネ1:13)である。



サタンは常に神や人に自分の栄光を誇るように仕向けるから気をつけよう。意識して奉仕に務める事は大切だが信仰の出来事として取り組まないといつの間にか自分の奉仕、自分の働きへの満足、自己実現となり神ではなく自分を喜ばすものにすり替ってしまう。パウロの言う「御霊で始めたのに肉で仕上げると言うのか」(ガラテヤ3:3)となる。人はどんなに良い行いをしてもその奥にある動機の中に肉が入り込んでくる余地がある。



サタンは肉と共にあり争いに導く。皆、主のために良き事を行うとの思いで取り組んでいるだけに一寸した刺激で肉が噴出するのだ。イライラしたり、怒ったり。パウロはこれを「キリストにある幼な子」即ち、肉の人であって普通の人のように歩いているためではないか」(Ⅰコリント3:1-3)と言う。決して駄目なのではない。これから成長する期待の星なのである。



教会はキリストのからだであって私達はキリストに選ばれ神の子とされた。皆、同じキリストの命を授かっている。だが肉の人は肉の働き(ガラテヤ5:16~)に振りまわされる。だからこそ互いに祈り、交わり、互いに成長の恵みを受け霊的成長し、それに応じて御霊の九つの実が豊かに与えられるのである。



霊的成長の秘訣はとにかく御言葉の光に照らされて肉の心、自我が砕かれる事にある。自分の罪深さ高慢さに気づき、砕かれたならば、神には勿論、親や家族、友人に対しても申し訳なさと感謝の思いが感動となって命の泉のように湧き出し生活が全く新しくされるのである。


























by oume-akebono | 2018-08-19 17:21 | 週報メッセージ