9月16日 御霊の助けで御言葉に従う

(へブル人への手紙 3章7節)     大谷唯信牧師



「今日、あなたがたがみ声を聞いたなら、荒野における試練の日に、神にそむいた時のように、あなたがたの心を、かたくなにしてはいけない。」



主のみ声を聞くにはどうしたらよいのだろう。自分の中に起きる思い、内なる声…どれが自分の思いでどれが神のみ声なのか。その判断は頭で考えても分からない。しかし、聖霊により頼みつつ聖書の御言葉を心で味わい、信じ、自分の心の中で確かなものと信ずることができるまで、確信に至るまで祈るのである。聖書はたくさん読み、流れの全体を知るのも大切であるが、それ以上に大切なのは自分の心に響いた御言葉、自分もそのようになりたいと思えた御言葉を選び、何回も何十回も心で繰り返し、それがその通りだと信じ確信に至るまで、自分の思いとなりきるまで祈り味わう。一つの御言葉によって主を仰ぎ主と共にあり、信ずる信仰によって御言葉が主のみ声であり自分の思いもそれと一つになるように、ご聖霊の助けを願いつつ信仰によって信じ祈るのである。



「聖書は神の約束」「聖書はわたしの信仰」と言い切っていくごとに肉から霊の領域に入り込み、神の臨在に包まれ、自分を見、この世を見る時、そのギャップ、ずれが見えてくる。それが世に対しての生ける証し、メッセージとなるのである。御言葉の霊的世界に深く入るほど語り伝えるべき言葉が湧いてくる。その言葉は霊によって生きた言葉となる。肉の中にあるまま霊のことを語っても、それは単なる知識、情報程度の知識や文字であり、魂を救う力とはならない。「十字架の言は滅び行く者には愚かであるが、救いにあずかるわたし達には、神の力である」(Ⅰコリント1:18)。パウロが信仰を通して神からの啓示を受けての神の言葉である。



求める者には誰にでも与えられる。それはイエス・キリストを信じることが入口である。信じるのは自分の意志で決めれば、今すぐでも新しい人生が始まる。自分で決めなければ何十年たっても始まらない。決めることだ。あとはご聖霊が内なる力、声となって、一生導いて共に歩んで下さるのである。



























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by oume-akebono | 2018-09-16 16:05 | 週報メッセージ