6月10日 油断してはいけない

(コリント人への第二の手紙 5章16節)   大谷唯信牧師



「それだから、わたしたちは今後、だれをも肉によって知ることはすまい。かつてはキリストを肉によって知っていたとしても、今はもうそのような知り方をすまい。」



パウロは肉によってイエスを知った時どうしたのでしょう。誰よりも激しくイエスとその弟子達、信者達を迫害し苦しめたのです。ではどうして迫害をやめ、それどころか自らを「キリストの僕」と称し、正に命がけでキリストの福音を伝える者となったのでしょうか。この驚くべき変化は何故起きたのでしょう。それはイエスの外側の肉ではなく、内側の霊的実体に触れたからです。



イエスは「神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」(ヨハネ424)と言われました。霊とまこととをもってとは、どういう事でしょう。今という瞬間々々に真心をぶつけて自分を生きているか否かを神の前で問う事です。霊的に生きるとは、実在の中に生きる事です。



たとえばあの12年間も病で苦しんでいた貧しい女性です。必死になって群衆の中を押し分けてイエスに触れました。その求めた中に見る事が出来るでしょう。その時、弟子達を始め多くの人が肩を押し合いイエスに「押し迫っていた」のです。しかしイエスに本当に触れたのは、この女性一人以外いなかったのです。ところが「押し迫っていた」多くの人々は、自分たちはイエスに触れていると思っていたのです。また、「富める青年」は群衆からイエスの前に飛び出してひざまずき「永遠の命」について尋ねたのです。「何と謙虚な立派な青年だろう」と人々は思った事でしょう。



しかしイエスが応えるごとに「それは小さい時から守ってきました」とまるで「そんな事は昔から知っていますよ!」と言うのです。実体なるものを知識で学び知る様に実体から遠くなっている現実が見えなくなっているのです。現在、このような状態になっている諸教会が増えています。「教会の祈り」を本気で取り組みましょう。サタンは巧妙にすべてを肉の働きに押し流そうとしていますから、油断してはいけません!























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by oume-akebono | 2018-06-10 13:49 | 週報メッセージ