6月3日 人生を新しくする力は神の愛
(マタイによる福音書 22章37-40節) 大谷唯信牧師
「心をつくし精神をつくし、思いをつくして主なるあなたの神を愛せよ。これがいちばん大切な第一のいましめである。第二もこれと同様である。自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ。これら二つのいましめに、律法の全体と預言者とがかかっている。」
神の私達に対するテーマは常に愛に生きると言う事である。第一があって第二がある。そしてこの二つは一つとされていく。互に愛し合う事に反対を唱える者はいない。皆、愛を求めている。しかし第一が抜け落ちているのだ。愛を本物にしていく秘訣を聖書は語る、「神がわたし達を愛して下さって、わたし達の罪のためにあがないの供え物として御子をおつかわしになった。ここに愛がある」(ヨハネⅠ4:10)だから「わたし達も互に愛し合うべきである」と。
即ち、神の愛に立つべきなのだ。この愛が抜けているならばわたしが全財産を人に施ししても、また自分のからだを焼かれるために渡しても一切は無益である」(I コリント13:3)とまで聖書は言い切る。この世はすべて神の愛によって創造された。私達もそうである。しかし、この世は神を認めず神の愛を失い、自分中心のエゴの愛で現在に至っている。そのためにこの世には神の愛なる愛はない。あるのは人間中心のエゴの愛であり本当に共に一つになる力は全くないのである。近頃の世界情勢を見よ。昔と同じく互いの武力の強さによって牽制し合っているだけの危ういものではないか。パウロは「気をつけるがよい。もし互いにかみ合い、食い合っているならあなたがたは互いに滅ぼされる。であろう」(ガラテヤ5:15)と語っている。
この世はそれしか出来ないのだ。だからパウロは「御霊によって歩きなさい。そうすれば決して肉の欲を満たす事はない」と命じているのである。この御霊によって神はキリストのからだなる教会をつくり今の私達をも召してキリストの証人として立てて下さったのである。「神は万物をキリストの足の下に従わせ、彼を万物の上にかしらとして教会に与えられた」。私達は臆することなく主の証人としての恵みにあずかれるのである。