4月22日  主よ、どうか

(詩篇 4篇6節)         大谷唯信牧師



「主よ、どうか、み顔の光をわたし達の上に照らして下さい」



今年度を私達教会の霊的成長の幕開けといたしましょう。



私達の教会は感謝な事に霊的信仰の核なるものが育って来ました。一人ひとりが霊的信仰に目覚め深められ、教会全体として霊的いのちの核の存在が見えて来ています。石地やいばらの生えた荒れた地ではなく霊に満ちた豊かな土壌になって来ています。魂の救いは霊的信仰の中で起こります。「神は霊であるからあなたがたも霊とまこととをもって礼拝すべきである」(ヨハネ4:24)は基本です。すぐれた知識も感動的な言葉も又御言葉ですら肉の次元で語られ聞かれる事があり得るのです。否、その方が多いかも知れません。私達も常に注意が必要です。



パウロも語っています。「私達にも福音が伝えられている。しかし、その聞いた御言葉は彼らには無益であった。それが、聞いた者たちに信仰によって結びつけられなかったからである」(ヘブル4:6)と。「文字は人を殺し、霊は人を生かす。(IIコリ3:6) 又「肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである」(ロマ8:6)いずれも霊と肉の問題です。両者は似て非なるもの、判別しにくいのです。サタンの巧妙さを見ます



ですから、パウロは「どうか、私達の栄光の父が知恵と啓示との霊をあなたがたに賜って神を認めさせ、あなたがたの心の目を明らかにして下さるように」(エペソ1:17)と祈っています。福音の種は私達の心が豊かな霊的な土壌になるほどに応じて100倍、60倍、30倍となるとの神の約束です。



 まず主のみ顔の光を求め全身に主の光を浴びようではありませんか。太陽は朝ごとにのぼっています。曇りでも雨でもです。神の光も同様で困難や死の谷にあっても絶えず私達の上にあります。ダビデは「み顔をしもべの上に輝かせいつくしみをもってわたしをお救い下さい」(31:16)と祈りました。主の光は全身を照らし暖かさを与えるでしょう。それが主の御臨在です。その御臨在を味わうのが霊的信仰の一歩。「主は我が光、我が救いです。」

























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by oume-akebono | 2018-04-22 23:44 | 週報メッセージ