4月8日 十字架の勝利宣言

(第Ⅰコリント 1:18)      大谷唯信牧師



「十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救いにあずかるわたしたちには、神の力である」



十字架の言とは十字架の死と復活のイエスです。この死と復活が驚くべき力の根源です。ゴルゴダの十字架のまわりには祭司、律法学者をはじめ多くの人々が見ていました。全人類のための一度だけの歴史的出来事が起きていたのですが彼らにとっては全く無意味な馬鹿馬鹿しい出来事でした。パウロもそのように受け取っていた一人だったのです。彼は自ら述べています。「わたしはヘブル人の中のヘブル人、律法の上ではパリサイ人、熱心の点では教会の迫害者、律法の義については落ち度のない者である」と断言する程のしたたかな自信家でした。



しかしイエスの愛の光に包まれて自分と正直に向き合った時「わたしは自分の欲する事は行なわず、かえって自分の憎む事をしている。わたしの欲している善はしないで、欲していない悪はこれを行っている。善をしようとする意志は自分にあるが、それをする力がない。わたしは欲している善はしないで、欲していない悪はこれを行っている。ならば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしのうちに宿っている罪である」と罪にとりこにされている自分に絶望したのです。



これは現代人も同じで、ここまで正直に自分と向き合い現実を絶望するまで取り組むとは実に勇気のある人です。人間共通の罪の原点に逃げずに取り組んでいるのですから。「わたしは何と言うみじめな人間なのだろう。誰がこの死のからだから救ってくれるのだろうか」と主を信じて救われたのです。その瞬間、「神は感謝すべきかな」と讃美に変ったのです。彼は十字架を教理として、自分を生かすために信じたのではありません。罪の自分に絶望しキリストの十字架の死の中に自分を投げ出したのです。イエスの十字架の叫びの中に身を投じたのです。キリストと共に死んだ。そうしたらキリストと共に生きていた。「死は勝利に吞まれてしまった」の信仰宣言に至ったのです。



























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by oume-akebono | 2018-04-08 15:27 | 週報メッセージ