3月18日 人生を豊かにする日々の出発点

(ヨハネによる福音書 20章29節)       大谷唯信牧師



「あなたは見たので信じたのか。見ないで信ずる者は幸いである」



信仰による恵みは「見ないで信ずる者」が手にします。アダムがサタンにそそのかされて食べてはいけない「知識の実」を食べて以来、人間は自分の目で見て、手で触って確実な証拠を取ったものしか信じない習性が心深く刻まれているようです。この世の学びや人生経験、知識が増すごとに自分の考え、自分の納得できないものは受け入れにくくなるものです。



トマスは他の弟子たちから復活の主に「お目にかかった」と聞かされると「わたしは、その手に釘あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れみなければ、決して信じない」と断言したのです。これがこの世の普通の人です。常識のある堅実な人でありましょう。パウロも自分に対して絶対的な自信と確信を持ち自分の正しさに沿って生きていました。



しかしキリストに出会って心の目が開かれたのです。自分がいかに小さく不完全な罪深いものであるかに気づかされたのです。自分を超越した神の命の領域から自分を内面的に見る目が開かれたからでした。人生のあらゆる真理が現実から見えるようになったのです。今までの自分の誇り、数々の栄光その輝かしい業績も色あせたもの、まさにゴミのように見えたのです。全てを超越する真実のいのちを得たからでした。



どういう事でしょうか。パウロは言います。「わたしは信仰によって義とされキリストによって、神に対して平和を得ている」(ロマ5:1)「神との平和」です。現代人にはこれが無いのです。彼はどんな逆境の中でも「希望を持って喜んでいる。患難をも喜んでいる。なぜなら患難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生み、それは失望に終わる事がないからだ」とすべてを感謝のできる人になりました。「神との平和」の中に生きたからでした。その秘訣は、まず神にあなたの心を開く事にあります。全開にして下さい。意識すれば誰にでも出来ます。日々の出発点といたしましょう。























[PR]
by oume-akebono | 2018-03-18 17:19 | 週報メッセージ