3月4日 愛と赦しはイエスの中に
(ヨハネの第一の手紙 4章15節) 大谷唯信牧師
「もし人が、イエスを神の子と告白すれば、神はその人のうちにいまし、その人は神のうちにいるのである。」
神は人をご自身に似せて、霊的な存在として造られました。イエスはぶどうの木とその枝に例えて「わたしにつながっているなら、豊かに実を結ぶ」と語られました。それは、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制という御霊の実が豊かに実るとの神の約束です。これはぶどうの木から流れてくる命ですから、自分の努力ではなく上からの賜物です。
しかし神を信じない人は、自分の肉(エゴ)の働きで頑張るしかありません。その肉の働きの根は「不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐい」(ガラテヤ人への手紙 5:20)であり、本質は罪であるとしています。この世のほとんどの人が、この肉の働きで困っています。「気をつけるがよい。もし互にかみ合い、食い合っているなら、あなたがたは互に滅ぼされてしまうだろう」(ガラテヤ人への手紙5:15)と聖書は語っています。肉は闇であり滅びです。
私たちは神の導きによりイエスの福音に触れ救われました。教会も私たちも共に主の交わりの中で育てられ、日々感謝に溢れた生活をしています。これからは一人ひとりが御言葉からメッセージを聞き取り、主にお応えしていく事が大切なのではないでしょうか。次の御言葉からどのようなメッセージを受け取りますか。「あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕えなさい。律法の全体は、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』というこの一句に尽きるからである」(ガラテヤ人への手紙5:13-14)
先週学んだように、愛するとは、相手にあなたの心を開く事です。第一は神に心を開き、全開する。意識し、常に吟味しつつ全開するのです。すると他者に対しても、苦手と思える人にも心が開いて来るでしょう。さらに、これらいっさいのものの上に、愛を加える(コロサイ人への手紙3:14)のです。全員で取り組みましょう。教会に愛が満ち満ちてくると、どのような教会になるのでしょう。想像してみて下さい。それは、既に始まっています。