2月25日 愛するとは心を開く事

(マタイによる福音書 22章35~40節)   大谷唯信牧師



「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。

これがいちばん大切な第一のいましめである。第二も同様である。『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』」



愛するとは心を開くこと。「まず“神”に心を開きない。全開です」これが全ての基本。



律法学者がイエスを試そう思って「律法の中では何が一番大切なのですか」と質問しました。実に良い質問をしてくれました。おかげで膨大な律法を端的に普遍的な本質を二点に絞り、しかも具体的な取り組みの行動、及びどこまでの深さ、高さにまで目指すのか目標をも示されました。学者達はその真意を汲み取る事もせず、「では、あなたの隣り人とは誰ですか」等と最もらしい問いをしてきたのです。



隣り人を本当に愛したと思って問うのは良いことでしょう。彼らは「自分の立場を弁護しようと思って」であり「イエスを試そうと思って」でありました。イエスは愛し合う基本を教えておられたのですが、その学者達の心には愛の心になろうとしている動きが見えるでしょうか。その真逆ですね。正に議論のための議論、真実の実体を求めるのではなく自分の主張、弁護の議論です。



しかしイエスはこの議論に巻き込まれませんでした。「よきサマリヤ人」の例話を出し、「強盗に襲われた人の隣り人になったのは誰と思うか」と逆に質問したのです。そんな事は当然わかっている事ですから、彼らは勿論正解を出しました。ところがその時すぐにイエスは言われたのです「あなたも行って同じようにしなさい」言われた彼らはどうしたでしょう。おそらく不愉快に沈黙するしかなかったでしょう。もうやる事がないのです。議論以外にはやる事がないのです。彼らの姿に私達現代教会の姿がそのまま見えて来ないでしょうか。イエスは社会平和や教会論、宣教論を論じているのではありません。



「まず、神に心を開け、

全開だ!

 これが全ての基本」



これは、新しい人生、成長する教会への入口です。

































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by oume-akebono | 2018-02-25 16:35 | 週報メッセージ