2月18日 神の偉大な救いの計画

(テモテへの第二の手紙 3章16~17節)     大谷唯信牧師



「聖書はすべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。それによって神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである。」



聖書は人の創作によってではなく、神の選ばれた預言者、王、政治家、学者、農夫、羊飼い等の約40人の者によって前1400年~後200年頃の期間にそれぞれの地域と場所とその状況下で神の霊に導かれ書かれたものです。旧約はイスラエルの歴史の現実の出来事を中心に、新約は神の子イエス・キリストの働きと御言葉を中心に、詩篇はキリストの十字架とよみがえりの出来事を通して与えられた全人類の救い、福音が世界中に拡がるため教会を誕生させこれに一切を託された記録、その様子が使徒行伝に聖霊降臨ペンテコステの様子にそのまま記されているわけです。上からの一方的な聖霊の注ぎによって弟子達を始め、多くの人々、又、キリストの迫害者として一番恐れられていたパウロまでが回心し伝道者の器とされ、世界の福音の拡がる基礎となる宣教と教会の設立を各地に行ったのでした。これらすべて神の聖霊による導きであった事を聖書は伝えています


今日、私達が現在、青梅あけぼのキリスト教会に導かれましたのも、初代教会と同じく上からの神の導きでなくて何でありましょう。



もしこの世に聖書がなかったならばどのようにして神を知ったでしょうか。他の諸宗教のように人間の知恵、知識で想像した神を祀り上げ、自らを教祖と自任したりの偶像礼拝になるしかなかったでしょう。聖書があるから神を知りイエスを知り、聖霊の働きと教会に出会ったのです。神は全人類を救うため、イスラエルを用い預言者を用い、今は教会を用いています。教会はキリストの体です。私達はキリストに選ばれたキリストの体の肢体です。共にキリストの命に授かっているのです。何のためでしょうか。今度は私達がキリストの証人として世に立つためです。





































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by oume-akebono | 2018-02-18 17:29 | 週報メッセージ