1月7日 神の力を得る信仰とは

(歴代志下 20章12節)       大谷唯信牧師



「…われわれはこのように攻めて来る大軍に当る力がなく、またいかになすべきかを知りません。ただ、あなたを仰ぎ望むのみです。」



ユダの王ヨシャパテは攻めて来る大軍を前にして、祈るしかなかったのです。国の存亡の危機に瀕し、全国民が心を一つにして祈りました。「ユダの人々はその幼な子、その妻、および子供たちと共に皆主の前に立っていた」。(歴代志下20:13) これが大切なのです。敵に応戦するため会議をしたり、武器を集めたり、ではありませんでした。



「アブラハムの子孫は与えられたこの地に住み、あなたの名のためにここに聖所(教会)を建てて言いました。『つるぎ、審判、疫病、ききんなどの災がわれわれに臨む時、われわれはこの宮の前に立って、あなたの前におり、その悩みの中であなたに呼ばわります。すると、あなたは聞いて助けられます。あなたの名はこの宮(教会)にあるからです』と」(歴代志下20:8-9)現代でも、このような状況に立たせられている方が沢山おられるのではないでしょうか。世界情勢は勿論ですが、私たちの身近な生活のなかに、です。



昔も今も信仰の基本は同じです。「第一のものは第一に」、「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられる」。(マタイによる福音書633)到底信じられない事を主の名によって信じる、これを信仰と言います。自分の力量で計れる範囲は何とか信じられるかも知れません。しかし、主ははっきりと不可能を信ぜよと言われます。ダビデは「たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです」(詩篇234)と言いました。その信仰の力はどこから来るのでしょう。



「わたしはみ言葉によって望みをいだいたからです」(詩篇11974)と御言葉を自分の信仰告白にしているのです。ヨシャパテも預言者を通して「この大軍を恐れるな、これはあなた方の戦いではなくて、主の戦いだから」と言われた。「彼は地にひれ伏した。」(歴代志下20:18)とあります。今年は私たちも「御言葉で考え、御言葉に立つ信仰告白の恵み」を得る1年にいたしましょう。





































































































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by oume-akebono | 2018-01-07 17:19