8月20日 教会の現状と使命
(コリント人への第二の手紙 3章6節) 大谷唯信牧師
「神はわたし達に力を与えて、新しい契約に仕える者とされた。それは文字に仕える者ではなく、霊に仕える者である。文字は人を殺し、霊は人を生かす」
今、私達の連盟の全国諸教会が驚くほどに疲弊している。323もある伝道所・教会のうち昨年一年間で受浸者0人が193教会、礼拝出席者平均人数は40人以下となった。私達の教会は祈りの目標から見るとまだまだであるが、受浸者はその前年と同じく9人、礼拝出席は123人となった。これは全くの神の恵みであり御聖霊の働きに他ならない。心から主に感謝しよう。
諸教会の多くがなぜ疲弊してしまうのか。怠けているのだろうか。そんな事はない。皆、真面目で熱心に祈り取り組んでいる様子を見る。連盟を通して送られて来るバプテスト誌、宣教研究所からの宣研ニュースレターをはじめ、その他の報告、活動等を見ると、その時々の課題を取り上げ、正にレベルも高く活動的な精鋭部隊のようにも感じる。目を通すごとに教えられ学ばされる事が実に多い。しかし私の理解不足と思うが、現実の教会形成、教会の成長に対してとなると、ほとんど力にはならない。無味乾燥であり「だから何よ?」との問いが出てしまうのだ。強くなりたいと取り組んでいる土俵の力士に、相撲の成り立ちや歴史を聞かせているようなものに見えるのである。これは愚かな一牧師の感想であるからどうでも良いのだが…。ここまで諸教会が疲弊している現実を見るならば、もうそろそろ言葉遊びはやめて本気で御言葉に取り組む必要があるのでは、と思うのである。
一番の原因は、自覚のないままいつの間にか霊が肉になり、御言葉が文字になってはいないかということである。「文字は人を殺し、霊は人を生かす」のだ。エデンの園には、「善悪を知る知識の木」と「命の木」を神は植えられた。「知識の木は死に至るので食べるな」と言われた。この世は知識・情報を求める。死への道だ。故に教会は命の木から命を受け、死せるこの世にキリストの命を吹き込むことが使命なのだが…。