5月7日 良心の痛みから救われよ
(ヘブル人への手紙 9章14節) 大谷唯信牧師
「永遠の聖霊によって、御自身を傷なき者として神にささげられたキリストの血は、なおさら、わたし達の良心をきよめて死んだわざを取り除き、生ける神に仕える者としないであろうか」
新年度を迎え、ゴールデンウィークもそれぞれに楽しく思い思いに過ごされたことでしょう。私達はここで信仰を新たにし、主の言われたようにこの世の闇を照らす光となって「世の光」「地の塩」としての働きを使命として立とうではありませんか。
「あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい」(コリント人への第一の手紙 6:19-20)
そのためにはまず、私達自身が聖霊の器として整えられなければなりません。何故ならわたし達は信仰によって救いに入れられているのに「わたしは駄目、不信仰だから…、まだまだ弱いから…」等々の思いが出てくるのではないでしょうか。
今や日本の大半の人々が何らかの「心の病」にかかっています。それは小学生上級位から始まり、中・高・大学生、さらに社会人となった青年達まで、正に現代の国民病です。
それは不真面目な人がなるのではなく、まともなごく真面目な、正直な向上心を持った人ほど傷つきやすく、こわれやすく閉じこもる傾向となり、本来の力が発揮できなく不完全燃焼になってしまうのです。
その原因はまわりの環境ではなく自分自身の内にある良心の声に従わず怠け逃げ回っている罪を良心に責められその重圧に押しつぶされている現実と向き合わず逃げている事です。
信仰を持ってもその古い思考パターンを続けていると同じです。良心をキリストの血ですすがれて良心のとがめを去り、からだは清い水で洗われ、真心をもって信仰の確信に満たされ主の前に立つ事から始めましょう。