4月23日 祈りは不信仰克服の力
(マルコによる福音書 9章14~29節) 大谷唯信牧師
「もしできれば、と言うのか。信ずる者には、どんな事でもできる」「信じます。不信仰なわたしを、お助けください」
私達の内面は信仰と不信仰が絶えずぶつかり合っています。普段は信じているはずの信仰も思わぬ出来事にぶつかるとその現実の前に信仰は消えかかってしまう事があります。
今年度は非常時にあっても信仰に立つ、これにチャレンジいたしましょう。
この父親はてんかんに苦しむ息子を弟子のもとへ連れてきましたが治りませんでした。そのことを父親から聞いたイエス様は「ああ、なんという不信仰な時代であろう。」と嘆かれたのです。父親は無我夢中でイエス様にすがり「できますれば、わたしどもをあわれんでお助けください」即座に主は「もしできれば、と言うのか。信ずる者には、どんな事でもできる」父親は叫んで「信じます。不信仰なわたしを、お助けください」。イエス様は父親の心をえぐるように迫り不信仰を信仰に導かれたのです。彼のよかったのは不信仰ながらもイエス様にしがみついた事でした。「わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう」(ヨハネ15:4)
からし種一粒の信仰でも主は取り上げて下さるのです。この父親には何が足りなかったのでしょう。それは「救いの確信」でした。わたし達も「何となくの信仰」は持っています。普段はこれで何とか間に合っています。しかし突風が来ると落ち葉が吹き飛ばされるように散らされてしまう事はないでしょうか。
ここで大切な事は持っている信仰の上にさらに「確信」を持ってしっかり押さえ込む事です。確信も信仰も上から与えられるものとして、ただ待っている事はないでしょうか。主は「その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら」(マルコ11:23)と言われました。これこそ信仰に確信を加え不動のものにすることです。どうすればそうなるのでしょう。イエス様は「祈りによらなければ」(マルコ9:29)と言われました。実に祈りと信仰は一対なのです。