2016年 09月 06日
9月4日 神の愛に生きよう
(Ⅰヨハネ 4:7,19) 大谷唯信牧師
「わたし達は互いに愛し合おうではないか。神がまずわたし達を愛して下さったからである。」
神の言われるのは、互いに愛し合い仲良しグループをつくりなさい程度のものではない。
神にとって愛するとは、命をかけるものである。
神はわたし達全人類への愛を、独り子イエス・キリストによってこの世の歴史的出来事として現わして下さった。
神が愛であること、イエスの教えの数々、その行い、人々への接する態度、十字架の死に至るすべての歩み、これらによって神が愛であること、全人類を愛しておられること、そして、キリスト御自身が神であることを現わして下さったのである。即ち、単なる理論や考え方ではなく、実際にわたし達と共に生きておられる神を現わし、また、人間としての本来の生き方、真実の愛、本当の許し、永遠の命、等々、この世がわかっているようで見失っているものを与えて下さった。
キリストは天に上げられ登ったのではない。弟子達を置き去りにされたのでもない。約束通り今度はキリスト御自身が御聖霊となって来られ、弟子達の内なる命となり、これをキリストの教会として建て上げ、キリストの権威と使命とを継承させ、今も導いて下さっておられるのである。
人間は神と同じく霊的存在なのだ。成長するには霊を育てる食物と環境が必要である。イエスは「人はパンのみで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの霊の言葉で生きる」と言われた。神の霊の言葉にこそ人を豊かな人格として育てる力がある。「知識は人を誇らせ愛は人の徳を高める」、また、「文字は人を殺し、霊は人を生かす」。「人を生かすのは霊であって肉は何の役にも立たない」とも言われている。
この世は神を無視し、社会のすべてはエゴの領域を満たすだけになっている。生きる内実がないのである。学びが悪いのではない。学びの中に命を吹き込む者が乏しいのである。今こそエゴではなく神の愛に立つ一人一人が貴重な存在となっている。
by oume-akebono
| 2016-09-06 17:46
| 週報メッセージ