2016年 06月 13日
2016年5月22日 聖霊を信ずる教会
(使徒行伝 2:4) 大谷唯信牧師
「みんなの者が一緒に集まっていると……一同は聖霊に満たされ……」
無力な弟子達に約束どおり聖霊が注がれた。「ただ聖霊がくだる時、あなたがたは力を受けて、地の果てまでわたしの証人となるであろう」(使1:8)が始まったのだ。「ただ聖霊がくだる時」の「ただ」とは、どんな「悪条件があろうともそれらをすべて超えて…」ということである。わたし達もこの聖霊を今の出来事として信じようではないか。聖霊は神の霊であり、神の生命である。ここから教会が始まった。当時は弟子達にとっては最悪の困難な状況であったであろう。しかし教会の働きは聖霊なる神の生命によって前進した。組織でもなく制度でもない。人の知恵からくる主義主張でもない。ただ神の生命である聖霊によって、しかも一人一人の中から始まる新しい霊的革命となった。
現代は病んでいる。人々は精神的に乾ききっている。恐れ、怒り、不安、利己主義という病気である。小学校の学級崩壊どころではない。今や、地球崩壊、社会崩壊、人格崩壊にまで及ぶ兆しが全世界に現れているではないか。この世はやたらに忙しく動いている。気をつけよう。まず主の日が奪われ祈りが奪われる。霊的貧困は自覚のない中で襲って来る。「身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩きまわっている。この悪魔に向い、信仰にかたく立って抵抗しなさい」(Ⅰペテロ5:8)とペテロは語る。
この世はサタンの支配下にあることを忘れてはいけない。確かにわたし達はキリストによって救われている。だからこそサタンにねらわれるのだ。冒頭の御言葉が示すのは「みんなの者が一緒に集まっていると」とある。サタンは教会の群れから離れた者に襲いかかる。油断してはいけない。「霊に燃え主に仕える」ことを祈り求めよう。初代教会の力の秘訣を見い出そう。富める青年やニコデモのようにわかってしまう信者にならないようにしよう。
by oume-akebono
| 2016-06-13 16:13