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青梅あけぼのキリスト教会 omeakebono.exblog.jp

青梅あけぼのキリスト教会 日本バプテスト連盟 牧師 : 大谷唯信 副牧師 : 森元國文 〒198-0063 青梅市梅郷3-904-3 ☎︎0428-76-0634


by oume-akebono
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12月13日  マリヤに見える信仰の原点

(ルカによる福音書 1:34)   大谷唯信牧師


「どうしてそんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに」
 「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身になりますように」

 

今年も私達はクリスマスを迎えようとしている。幼稚園では早くも毎年恒例のクリスマスページェントが、今年は幼稚園2階のホールで二度にわたっての公演、一同感動の喜びを分かち合った記憶も新しい。上の御言葉はイエスの母となったマリヤが受胎告知を受けた時の事である。驚きと信仰によってお受けし、主に従っていく姿が見える。私達は一つの物語としてその筋書きを知っており、何回も耳にしており、また、クリスチャンの方なら直接聖書を読み慣れ親しんだ美しい出来事として接していると思う。
 

しかし、当時のマリヤ達にとってはすべて初めての出来事として現実に起きているわけだから、その驚きと言ったら大変なことだったと思う。これが起きる700年も前に預言者イザヤは預言しているのである。「暗やみの中に歩んでいた民は大いなる光を見た。暗黒の地に住んでいた人々の上に光が照った」、「ひとりのみどり子がわれわれのために生まれた。ひとりの男の子がわれわれに与えられた」(イザヤ9:6~)と。すでに成就したものとして預言されている。これはイスラエルのすべての民の希望であった。しかしそれがいつどのように来るのかは誰も知らなかったのである。それが突然自分の身の出来事として起きてきたのであるから、その驚き、不安、恐れは大変なものであったろうと思う。
 

マリヤの初めは驚きと全否定であった。「わたしにはまだ夫がありませんのに」。動かせない現実の状況である。もしこれが事実であったなら、当時は姦通罪での死罪である。しかしこれが聖霊の出来事、神の出来事としての御業と聞き、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身になりますように」と受ける決断をした。これこそ信仰によっての服従と献身である。身を投げ出しているのだ。今の私達にも御言葉は迫って来ているのだが、あなたはどうするのか。
by oume-akebono | 2016-01-07 03:24 | 週報メッセージ