12月6日  全てを霊の出来事として

(ガラテヤ人への手紙 5:16)  大谷唯信牧師


「御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない」。


今年も、クリスマスを迎える時期となった。イエスの誕生は、御聖霊によるものであった。私達が救われたのも御聖霊の導きである。私達は、すべての事が御聖霊の導きの中にあるという自覚を、常に信仰によって持つべきであろう。いつの間にか肉の力で推し進めていることが実に多いからだ。有能で自分に自信がある人ほどそうなってしまうから、気をつけよう。周りからも喜ばれ、感謝され新たな生きがいを得たりもする。しかし信仰生活は霊的出来事なのだ。それなのにこれを肉の力で維持することになると、これは肉の働きになってくる。


勿論、自分の調子の良い時、気分が乗っている時には快調で、どのような仕事でも、生き生きと楽しくできる。クリスチャンになって良かったとも思う。自分が肉の力でやっている等とは到底思ってはいない。何をしても楽しいのである。しかし自分の限度を超えてくると、肉の部分が悲鳴を上げるのだ。霊的にはまだ幼く、力が無いからである。実に、ここからが成長の第一歩なのだが。こういう現実を通して肉が自覚され、悔い改めの恵みにあずかり、一歩ずつ成長するのである。


信仰に入った途端に完全になるわけではない。救われ、神の子とされたことは事実である。しかし、神の器としてはまだ幼いのだ。肉的なのである。パウロが言った「わたしはあなたがたには、霊の人に対するように話すことができず、むしろ、肉に属する者、すなわち、キリストにある幼子に話すように話した。…食べる力が、まだあなたがたになかったからである。今になってもその力がない」。(コリント人への第一の手紙3:1-2)何かトラブルがあると傷ついたり、ふくれたりするのだ。


「あなたがたの間でねたみや争いがあるのは、肉の人だからだ」とも語る。何年経ってもこのレベルの人がいる。自分の問題ではなく、他人の問題にしているからである。自分の問題として受け取った時は、痛いが悔い改めのチャンスとなる。「自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけて」(ガラテヤ人への手紙5:24)を実践した者が、成長の恵みを受けるのである。思いを肉ではなく、霊につなげるのだ。
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by oume-akebono | 2016-01-07 03:21 | 週報メッセージ