2014年 09月 14日
9月14日 基本は神への礼拝から
(ヨハネによる福音書 4:24) 大谷唯信牧師
「神は霊であるから、礼拝する者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである。」
人は何によって生きるのであろうか。その前に、人はどのように造られたのかを知らなければならない。聖書の神の啓示によると、この世の科学者のように、たまたまとか偶然とか、諸説はいろいろあるが究極のところは分からない等とは言っていない。
聖書は明確である。天地創造の初めから終末まで、はっきりと述べられている。「主なる神は土のちりで人を造り、命の息(人の霊)をその鼻から吹きいれられた。そこで人は生きた者(魂)となった」。即ち、人は霊的存在であることを語っているのである。「人はパンだけで生きるのではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きるものである。」(マタイ4:4)
去る7月26日、事件は起きた。佐世保市の県立高校1年の女子生徒が、同級生の少女をマンションで殺害した事件である。市の学校、教育関係者に衝撃が走った。丁度10年前、同市では小学校の女児が同級生に殺害される事件が起きていたのだ。以来10年間、全市を挙げて二度と起きないようにと、6月を「いのちを見つめる強調週間」として道徳の公開授業を行い、講演会を開いてきた。元校長は、被害者の机を校長室に置き、この事件を忘れまいとした。その後も市の教育次長となり、子どもを見守る仕組みづくりにかかわった。町内ではこの10年間、住民が通学路に立ち、声をかける活動に取り組んできた。こうした取り組みがあっても事件は起きたのである。「頑張ってきたつもりだが、足元から崩れてきたような気がする」、また、県立高校の校長は「悲しい、悔しい。指導が届いていなかった」と語る。「この10年間の取り組みは何だったのか。これ以上、何ができるのだろうか!」(7月31日朝日新聞より)
これらは他人事ではないのである。今や恐ろしい事だが、どこで起きてもおかしくないのが社会の現実ではなかろうか。誰をも責める事はできない。今こそ、神の言葉を聞かねばならないのでは。「人を生かすのは霊であって、肉は何の役にも立たない」という事を。
by oume-akebono
| 2014-09-14 20:00
| 週報メッセージ