2015年 01月 11日
1月11日 アダムの罪がすべての人に
(ローマ人への手紙3:23) 大谷唯信牧師
「すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており…」
「すべての人」とは全人類、ひとりの例外もなくという意味であり、しかも過去に生まれた人もこれから生まれてくる人もすべてが含まれて、神に対して罪を犯していると言うのだ。
ほとんどの人がこれを聞いただけで、「まさか!」「バカバカしい!」と思うかも知れない。
それは自分の常識の尺度で見るからである。私達は、普通は自分の常識を絶対とは言わないまでも「自分は正しい」と言う前提の中で見ているのではなかろうか。自分に考えがあるように、相手にも彼の考えがある。一致するところもあれば、違うところもあるものだ。
性別、年齢、環境、同じ兄弟であっても長男、次男で考え方、感じ方に違いが出て来る。
まして国々、年代、文化のそれぞれの中では世界観も生き方も当然異なってくるだろう。
聖書には聖書の世界観、人間観があるのだ。表面上の言葉尻で拒絶するのではなく、それらの言葉の奥に隠れて語られているメッセージをつかむことが大切である。
聖書によると、「神は自分のかたちに人を創造された。」(創1:27)。しかし人は神を拒絶し、神中心ではなく自分中心の罪の存在となった。すべての人はこの最初のアダムから出たのであるから、ここから生まれ出るすべての人が罪人なのである。「このようなわけで、ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのである。」(ロマ5:12)。
聖書は人間の生物学的発祥を語っているのではない。人を内側からも外側からも支配し、今や世界中が罪の奴隷と化している現実の罪の根拠を示しているのだ。ここで言う罪とは法律を犯したという罪ではない、もっと深い心の、神との関係性からの原罪であり、倫理的である。罪の結果は、永遠の死と滅びとされている。
神は私達を救うために、第2の人アダムとして、救い主イエス・キリストを与えて下さった。彼を信じ彼につながる者は誰でも赦され、永遠の救いに入れるようにされた。ここに神の愛があると聖書は語るのである。
by oume-akebono
| 2015-01-11 20:00
| 週報メッセージ