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青梅あけぼのキリスト教会 omeakebono.exblog.jp

青梅あけぼのキリスト教会 日本バプテスト連盟 牧師 : 大谷唯信 副牧師 : 森元國文 〒198-0063 青梅市梅郷3-904-3 ☎︎0428-76-0634


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2月3日   信仰によって大胆に歩め

(ヘブル人への手紙 11:8)   大谷 唯信 牧師



「信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。」




信仰は常に自分の殻から飛び出す力となる。人はどうしても自分の知識や経験、これ迄に築いてきた地位、立場にしがみつく傾向があるものだ。安全を求めるからである。確かにそれらは大切なものだ。粗末にする必要は無い。しかし私達は生き、前進しているのだ。


本当に命を燃やし、新しく生きようとするならば、それらのものを心の中ではいつでも捨てられる、否、捨て切っている。その思いが必要なのだが、どうであろうか。持っているものは、持たないかの如くに手放している。ここに自由、自立が生じ、未来に対して不安ではなく、期待と喜びが湧くのである。


イエスは「自分を捨て、自分の十字架を負って私に従ってきなさい」と言われた。現代人の問題は、自分を投げ出せない事だ。過保護の子供が質問されるごとに、自分で返事はせず、親の顔を見ては助けを求める。中高生にも多い。すると隣の母親が、「この子は恥ずかしがりなんです」とか、「ふだんはこうではないんですが、緊張してしまうんです」等と弁明したりする。大人でも本当に自立している人は少ない。強そうにしていても、ただ知識で論理武装したり、自分の立場でものを言っているだけである。


確かに人間として、自分個人の思いを正直に誠意を持って、真実に行動するのは勇気の要る事であろう。だが今や、その真実すら見えなくなっているのではなかろうか。自分の立場から見る真実に、立っているからである。「目あれど見えず、耳あれど聞こえず」なのである。


アブラハムは主に従った。「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう」(創世記12:1-2)これは全人類に、私達一人びとりに向けられている、神の招きである。神に従った時初めて人としての自立が起こり、真実の出会いが始まるのである。まずは甘えている自分を捨てるところから始めてみるのはどうであろう。
by oume-akebono | 2013-02-11 11:16 | 週報メッセージ