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青梅あけぼのキリスト教会 omeakebono.exblog.jp

青梅あけぼのキリスト教会 日本バプテスト連盟 牧師 : 大谷唯信 副牧師 : 森元國文 〒198-0063 青梅市梅郷3-904-3 ☎︎0428-76-0634


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7月8日   心の目を開け

(ヨハネの黙示録 3:17)    大谷 唯信 牧師



「あなたは、自分は富んでいる。豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない。」



富んでいる、豊かになる事が悪いのではない。自分の心の未熟さや、罪が見えなくなっている事が問題なのである。心は常に満たされた部分と砂漠のように渇いている部分を持つべきであろう。どんなに恵まれた状態であっても自分のもう片方の頬は絶えず北風の寒風にさらしておく必要があるのだ。そうしないとラオデキヤ教会の人々のようになる。彼らはあらゆるものに恵まれていたが中から腐ってきているのに気づかなかったのである。人


は誰でも他人の欠点は目についても自分の欠点や問題点には気づかないものだ。イスラエルの民が40年も荒野を旅しなければならなかったのはその苦労の中で徹底的に自己が砕かれ「あなた自身が惨めな者、あわれむべき者、目の見えない者、裸な者である事に」気づかせるためであった。


律法が与えられたのも何一つ実行できない弱く罪深い者である事を自覚させるためであった。しかし彼らは神に従う謙遜さを表明しながらもその心の奥では自らの「富んでいる、豊かになった、何の不自由もない」と驕り、自信があり自分は有能であり、かつ正しいとしたのである。神に従っていると思いながら実際は自分の力に頼り自分の思いに従っていた。だが本人はそれに気づかないのである。人は時に優越感をもったり劣等感を持って傷つく。どちらも根っこは同じで自我の上げ底によるプライドである。



今や現代人は実にひ弱になってしまった。と言うより本当はこれが現実なのだ。自分だけで自分を立て上げようとする。正にエゴの特性である。一寸した失敗で動けなくなる。恐れ、不安、自信もなくなる。惨め、落ち込む。実にこの時がチャンスなのだ。神を求め、神と出会うチャンスである。私達は何事も信仰によって恵みのチャンスとして受けとめよう。神は信仰に応えて下さるからである。
by oume-akebono | 2012-07-10 18:04 | 週報メッセージ