2012年 02月 12日
2月12日 教会は霊的成長が命
(ガラテヤ5:16) 大谷 唯信 牧師
「わたしは命じる。御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たす事はない」
教会のエネルギーの源泉は御霊にある。御霊によって歩いている教会は状況がどういうものであっても豊かに成長する。私達の教会はこの霊的成長による教会の成長を願っているのである。一般論ではなく、現実の私、またあなたが本当に豊かに成長しているかどうかの課題である。これは絶対おろそかにしてはならない点だ。何故なら、私達は働きや奉仕がいつの間にか肉によるものになってしまう傾向があるからである。
実にこの肉が私達を得意にさせたり、落ち込ませたり、教会から離れさせたりするのである。しかも肉にある時は自らの肉には気づかない。それどころか自分の一生懸命の中で固く信仰に立っているとさえ思えてしまうから困るのである。勿論聖書を読み祈りもする。だが、どこか慣れてしまって自分なりになっており、その心の奥の思い、肉に根ざした動機に気づかないのである。御霊によって霊が開かれて来ると肉が見えて来るのだが、それをまたうっかり肉で制しようとするからいつの間にか肉の働きに移行してしまう。余程大きな問題となって初めて気づいたりするがその時は被害甚大となったりするのである。これらはクリスチャンの成長過程で誰もが経験する事ではなかろうか。
ではどうしたらよいのだろうか。こう言う時にブックマンの提唱するあの「絶対の四つのことば」を用いるのは良いと思う。絶対の正直、絶対の純潔、絶対の無私、絶対の愛である。即ち自分の行動や発言しているその時々の心をこの四つの言葉で照らして吟味するのである。肉の働き(不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、ねたみ、泥酔、宴楽、及びそのたぐい(ガラ5:29)が含まれていないかどうかを吟味するのである。これらは肉で制する事は絶対に出来ない。肉を見つけたら直ちにキリストの十字架で殺してしまう事だ。教会への聖なる働きが肉の力で押し進められるようサタンは仕掛けてくるから気をつけよう。
「わたしは命じる。御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たす事はない」
教会のエネルギーの源泉は御霊にある。御霊によって歩いている教会は状況がどういうものであっても豊かに成長する。私達の教会はこの霊的成長による教会の成長を願っているのである。一般論ではなく、現実の私、またあなたが本当に豊かに成長しているかどうかの課題である。これは絶対おろそかにしてはならない点だ。何故なら、私達は働きや奉仕がいつの間にか肉によるものになってしまう傾向があるからである。
実にこの肉が私達を得意にさせたり、落ち込ませたり、教会から離れさせたりするのである。しかも肉にある時は自らの肉には気づかない。それどころか自分の一生懸命の中で固く信仰に立っているとさえ思えてしまうから困るのである。勿論聖書を読み祈りもする。だが、どこか慣れてしまって自分なりになっており、その心の奥の思い、肉に根ざした動機に気づかないのである。御霊によって霊が開かれて来ると肉が見えて来るのだが、それをまたうっかり肉で制しようとするからいつの間にか肉の働きに移行してしまう。余程大きな問題となって初めて気づいたりするがその時は被害甚大となったりするのである。これらはクリスチャンの成長過程で誰もが経験する事ではなかろうか。
ではどうしたらよいのだろうか。こう言う時にブックマンの提唱するあの「絶対の四つのことば」を用いるのは良いと思う。絶対の正直、絶対の純潔、絶対の無私、絶対の愛である。即ち自分の行動や発言しているその時々の心をこの四つの言葉で照らして吟味するのである。肉の働き(不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、ねたみ、泥酔、宴楽、及びそのたぐい(ガラ5:29)が含まれていないかどうかを吟味するのである。これらは肉で制する事は絶対に出来ない。肉を見つけたら直ちにキリストの十字架で殺してしまう事だ。教会への聖なる働きが肉の力で押し進められるようサタンは仕掛けてくるから気をつけよう。
by oume-akebono
| 2012-02-12 22:46
| 週報メッセージ