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6月26日   命の門は狭い

(マタイによる福音書 7:13-14)   大谷 唯信 牧師



「狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない」



ほとんどの人が自分に生き自分のために生きている。他者のために何かをしてあげている時でもやはりそれは自分のためである。純粋に他者のその人のためにだけ心を尽くした事がどれほどあったろうか。何回位だろうか。思いめぐらして見ると意外に少ないのではないか。何故このようになってしまうのだろう。

ほとんどの人が自分のために生きている。戦前は「お国のため」「家のため」戦後は「会社のため」しかし今は「自分のため」、「だからしっかり勉強しなさい」となる。年々その流れは自己中心、個人主義となり今や政治、経済、教育すべてがそれぞれが袋小路に迷い込んでいる。これは単に政治、経済、教育の行政の問題ではなく目には見えないが一番はっきり見なくてはならない人間の心のエゴ(罪)の問題なのである。

自己中心とは自己に生きている事だ。自己(エゴ)が満たされていると自由と愛と安心を感じ、それも一時しか保てずさらに求める。結果としては思うようにならずストレスばかりとなる。犯罪、自殺、病気が、全国にまん延している。ほとんどの人が何らかのストレスを抱えている。いつ爆発するかわからない爆弾を抱えているようなものだ。

何故なのか。自己に生きているからである。本来人間は「神に生きる」ように神に創造されているのだ。そろそろこれに気づくべきではないか。「彼らは神を知っていながら神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである。」(ローマ人への手紙1:21)と聖書は語る。糸の切れたタコである。皆、逆をしているのだ。自己を中心にするのは実にわかりやすい。それは広き門であり滅びなのだ。日々狭き門から入ろう。ここに命があるからである。
by oume-akebono | 2011-07-03 07:11 | 週報メッセージ