2011年 01月 03日
1月2日 成長への一歩
(ルカ 22:31) 大谷 唯信 牧師
「シモン、シモン、見よ、サタンはあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って許された。しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。」
主は愛する者を訓練される。主の訓練と言うと時には厳しいものと思われる。全く予期しない、「まさか!」と思える出来事にぶつかる事をされるとき、わたしたちは苦しく、しかし持って行き場がなく悶々とするしかない……。否、主を仰ぐしかない所まで引きまわされ、正にこれは主が私達を導いておられるのだ。それが確実にわかるまで「サタンのふるいにかけられる事を許される」のは主御自身なのである。
いよいよ新年を迎えたが私達は何をするにしてもとにかくすべての事を信仰の出来事として受け取ろうではないか。主は万事を益とされる御方である。私達青梅あけぼのキリスト教会は主によって建てられ、主の御心の成就のため召されキリストのからだなる教会とされたのである。
主は御自身の来臨の備えのために教会を建てられたのだ。「それは御子を信ずる者が一人も滅びないで永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16)。即ち、神はキリストに教会を建てさせ、キリストの十字架の救いの御業の後の働きのすべてをこの教会に全託されたのである。主はその先駆者としてペテロを立てた。主はペテロを主の器として用いる必要があったのである。それ故、主はその愛する者を訓練されているのだ。「ペテロよ、サタンはあなたがたをふるいにかける事を願って許された。わたしはそのままにしよう。あなたは余りにも自信を持っている。その誇りを打ち砕くためサタンのふるいをなすままにしよう」と言われたのである。
パウロにも「サタンの使いが高慢にならないようにつかわされた」(IIコリ12:7)と語っている。私達も同じである。すべてを主の訓練として信仰で受けとめよう。「あなたがたの信仰がなくならないように祈った」と言われる主が今もおられるのだから。
「シモン、シモン、見よ、サタンはあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って許された。しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。」
主は愛する者を訓練される。主の訓練と言うと時には厳しいものと思われる。全く予期しない、「まさか!」と思える出来事にぶつかる事をされるとき、わたしたちは苦しく、しかし持って行き場がなく悶々とするしかない……。否、主を仰ぐしかない所まで引きまわされ、正にこれは主が私達を導いておられるのだ。それが確実にわかるまで「サタンのふるいにかけられる事を許される」のは主御自身なのである。
いよいよ新年を迎えたが私達は何をするにしてもとにかくすべての事を信仰の出来事として受け取ろうではないか。主は万事を益とされる御方である。私達青梅あけぼのキリスト教会は主によって建てられ、主の御心の成就のため召されキリストのからだなる教会とされたのである。
主は御自身の来臨の備えのために教会を建てられたのだ。「それは御子を信ずる者が一人も滅びないで永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16)。即ち、神はキリストに教会を建てさせ、キリストの十字架の救いの御業の後の働きのすべてをこの教会に全託されたのである。主はその先駆者としてペテロを立てた。主はペテロを主の器として用いる必要があったのである。それ故、主はその愛する者を訓練されているのだ。「ペテロよ、サタンはあなたがたをふるいにかける事を願って許された。わたしはそのままにしよう。あなたは余りにも自信を持っている。その誇りを打ち砕くためサタンのふるいをなすままにしよう」と言われたのである。
パウロにも「サタンの使いが高慢にならないようにつかわされた」(IIコリ12:7)と語っている。私達も同じである。すべてを主の訓練として信仰で受けとめよう。「あなたがたの信仰がなくならないように祈った」と言われる主が今もおられるのだから。
by oume-akebono
| 2011-01-03 00:12
| 週報メッセージ