2010年 07月 13日
7月11日 神への百%の期待
(歴代誌下20:12) 大谷 唯信 牧師
「我々はこのように攻めて来る大軍に当る力がなく、またいかになすべきかを知りません。ただ、あなたを仰ぎ望むのみです。」
神への百%の期待である。これが聖霊の示す人間の神への基本的態度なのだ。しかし、この世では安易な神頼みとして軽蔑する風潮がある。弱い、無責任と見るからだ。
「天命を待つ」と言う古来のことわざがあるが、「人事を尽くして」との条件がある。神頼みする前に、まず自分のやれる所は.すべて自分の力でやり尽くす、その後、天命を待つと言うのであろう。私達にとっては、とてもわかりやすい。理屈からでも納得しやすい。子供の頃から慣れ親しんでいる言葉だ。クリスチャンになっても、まず「人事を尽くして」頑張るのも、この常識があるからであろうか。
ところがこの「人事を尽くして」が問題なのだ。何故ならばどんなに良かれと頑張っても、いつの間にか自己中心の働きになっているからである。イエスは言われた。「人を生かすのは霊であって肉は何の役にも立たない」と、肉を切り捨てているのである。信仰の世界は全て逆と言う事だ。私達はこの逆説的真理を徹底して知らなければならない。そうしないと、肉の上に信仰生活を積み上げる事になり、全てが中途半端となる。この世で中途半端な信仰ほど惨めなものはない。
イエスも「なまぬるいので口からはき出す」(黙3:16)と言われている。では、どうしたらよいのか。「霊に燃え、主に従え」「まず、神の国と神の義を求めなさい。そうすればそれらのものはすべて添えて与えられる」のである。ユダの王ヨシャパテから学べる事は、困難にぶつかった時、まず自分の無力さを知り神への百%の期待である。神は、神の前に無力を告白し、神に期待する者に勝利を与えるからである。これは、神の力を引き出す法則なのだ。神は有能な者ではなく、自らを取るに足らない者と知っている者を用いて大きな働きをなさる。神への百%の期待が、神を動かす事を知ろう。
「我々はこのように攻めて来る大軍に当る力がなく、またいかになすべきかを知りません。ただ、あなたを仰ぎ望むのみです。」
神への百%の期待である。これが聖霊の示す人間の神への基本的態度なのだ。しかし、この世では安易な神頼みとして軽蔑する風潮がある。弱い、無責任と見るからだ。
「天命を待つ」と言う古来のことわざがあるが、「人事を尽くして」との条件がある。神頼みする前に、まず自分のやれる所は.すべて自分の力でやり尽くす、その後、天命を待つと言うのであろう。私達にとっては、とてもわかりやすい。理屈からでも納得しやすい。子供の頃から慣れ親しんでいる言葉だ。クリスチャンになっても、まず「人事を尽くして」頑張るのも、この常識があるからであろうか。
ところがこの「人事を尽くして」が問題なのだ。何故ならばどんなに良かれと頑張っても、いつの間にか自己中心の働きになっているからである。イエスは言われた。「人を生かすのは霊であって肉は何の役にも立たない」と、肉を切り捨てているのである。信仰の世界は全て逆と言う事だ。私達はこの逆説的真理を徹底して知らなければならない。そうしないと、肉の上に信仰生活を積み上げる事になり、全てが中途半端となる。この世で中途半端な信仰ほど惨めなものはない。
イエスも「なまぬるいので口からはき出す」(黙3:16)と言われている。では、どうしたらよいのか。「霊に燃え、主に従え」「まず、神の国と神の義を求めなさい。そうすればそれらのものはすべて添えて与えられる」のである。ユダの王ヨシャパテから学べる事は、困難にぶつかった時、まず自分の無力さを知り神への百%の期待である。神は、神の前に無力を告白し、神に期待する者に勝利を与えるからである。これは、神の力を引き出す法則なのだ。神は有能な者ではなく、自らを取るに足らない者と知っている者を用いて大きな働きをなさる。神への百%の期待が、神を動かす事を知ろう。
by oume-akebono
| 2010-07-13 22:43
| 週報メッセージ