2010年 06月 14日
6月13日 信ずる者への祝福
(使徒行伝1:4) 大谷 唯信 牧師
「エルサレムから離れないで、かねてわたしから聞いていた父の約束を待っているがよい。まもなく聖霊によってバプテスマを授けられるであろう。」
本日、午後より私達の教会の森元國文副牧師の就任・按手礼式が行われる。これは個人の出来事ではなく、教会の出来事であり、神の出来事であり、信仰の出来事である。神の一方的なあわれみによる招きに、信仰によって応答するものである。自分がふさわしいから従うのではない。むしろその逆で、最もふさわしくない者である事を知らされつつの招きであるから、途方に暮れるのであるが、それとは関係ないかの如くに御聖霊は促し、もはや自分の思いの納得ではなく、信仰による決断に踏み切らざるを得なくなる。
しかし、ここから新しい展開が始まるのだが、それを見るのはずっと後になってからなのだ。これはクリスチャンになろうとする時も、さらなる成長をする時も同じで、自らの信仰による決断にかかっていると言える。自分の思いにしがみつき、信仰決断をしない者はいつまでも救われないし、成長のチャンスも逃すのである。
現代人の問題は、自分の思いの納得の中から出られなくなっている事だ。信仰とは、そこから飛び出す事である。聖霊による上からの知恵によらなければ本質は見えない。だから、学ぶ。学べば学ぶほど、理解はしても真実からますます遠くなっている事にも気付かない。これをイエスは「愚か者よ」と言い、パウロは「この世は自分の知恵によって神を認めるには至らなかった。それは神の知恵にかなっている」(コリントⅠ1:21)と言うのである。
初代教会誕生の出来事の中に、教会成長の秘訣と、私達がどんな困難にあってもダイナミックに生きる力について示されているではないか。「ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて・・・」である。本日の就任・按手礼式に於いても、御聖霊の豊かな導きがある事を覚え、感謝しよう。.
「エルサレムから離れないで、かねてわたしから聞いていた父の約束を待っているがよい。まもなく聖霊によってバプテスマを授けられるであろう。」
本日、午後より私達の教会の森元國文副牧師の就任・按手礼式が行われる。これは個人の出来事ではなく、教会の出来事であり、神の出来事であり、信仰の出来事である。神の一方的なあわれみによる招きに、信仰によって応答するものである。自分がふさわしいから従うのではない。むしろその逆で、最もふさわしくない者である事を知らされつつの招きであるから、途方に暮れるのであるが、それとは関係ないかの如くに御聖霊は促し、もはや自分の思いの納得ではなく、信仰による決断に踏み切らざるを得なくなる。
しかし、ここから新しい展開が始まるのだが、それを見るのはずっと後になってからなのだ。これはクリスチャンになろうとする時も、さらなる成長をする時も同じで、自らの信仰による決断にかかっていると言える。自分の思いにしがみつき、信仰決断をしない者はいつまでも救われないし、成長のチャンスも逃すのである。
現代人の問題は、自分の思いの納得の中から出られなくなっている事だ。信仰とは、そこから飛び出す事である。聖霊による上からの知恵によらなければ本質は見えない。だから、学ぶ。学べば学ぶほど、理解はしても真実からますます遠くなっている事にも気付かない。これをイエスは「愚か者よ」と言い、パウロは「この世は自分の知恵によって神を認めるには至らなかった。それは神の知恵にかなっている」(コリントⅠ1:21)と言うのである。
初代教会誕生の出来事の中に、教会成長の秘訣と、私達がどんな困難にあってもダイナミックに生きる力について示されているではないか。「ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて・・・」である。本日の就任・按手礼式に於いても、御聖霊の豊かな導きがある事を覚え、感謝しよう。.
by oume-akebono
| 2010-06-14 09:17
| 週報メッセージ