街はもうクリスマスムードですが、今年は12月3日(日)からアドベント(待降節)です!

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今、幼稚園では、子ども達がページェントに向けて一生懸命にイエス様の御降誕の出来事を練習しています。
たくさんの賛美歌とともに演じられるページェント
今年も、二日間上演されます。
教会学校のクリスマス会は、
  16日(土)(小学科-13:00~、中高科-17:00~)
ベビーのためのあけぼのプレイルームのクリスマス会は、
  18日(月)10:00~ に予定されています。
  プレイルームのクリスマス会では、ハンドベルの演奏もあり、
  ご両親も一緒にお楽しみいただけます。  

今年のクリスマス礼拝キャンドル礼拝は、クリスマスイブ   
ハンドベルも演奏され、イエス様の御降誕をお祝いします。


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by oume-akebono | 2017-11-24 19:23 | 集会案内

(ヨハネの第一の手紙 4章18~19節)        大谷唯信牧師



「愛には恐れがない。完全な愛は恐れを取り除く。わたし達が愛し合うのは神がまずわたし達を愛して下さったからである。」



神は私達のすべてを御存知であり、御自分の御手の中で私達を包み導いておられます。私達にとって良い出来事も悪い出来事も神はすべてを主の訓練の時にして下さいます。あなたには恐れがありますか。上の御言葉を読み、十字架のイエスの愛の中に身を置いてみましょう。



神は独り子イエスをこの世に賜わり、私達の罪を贖い、死から永遠の命に移る道となられました。主の救いの御業はすでに完成され、私達に差し出されているのです。御言葉(聖書)は神の約束です。であるならば、「聖書は私の信仰です」と応答しましょう。さらに「その名を信じた者には神の子となる力を与えた」と、すでに完了している形で言い表しているのです。しかも、「それは血すじによらず、肉の欲、人の欲によらず、ただ、神によって生まれた」(ヨハネ1:12-13)とあります。この世が普通、人に対して求めるような条件を神は求めていません。ただイエスを信じる信仰のみを求めておられます。ところが「自分の民はこれを受け入れなかった」。信じなかったのです。何故でしょう。最初の人アダムはサタンの誘惑に乗り、神を拒絶したのです。神の霊なる命を失い、肉(エゴ)の心になったと聖書は語っています。



神は聖書によって神を現して下さいました。私達人間が神を知り神と出会っていくためには、どのような態度で取り組むべきかを教えているのです。聖書は人間の知識によって研究され書かれたものではなく、神からの啓示によって書かれました。人間の肉の目では神の霊の領域は見えません。神はイスラエルの歴史の現実の中にかかわり、救いの計画を啓示され、律法を文字で与え、その完成としてイエス・キリストの十字架の出来事を目に見える啓示として与えて下さったのです。現在の私達にこの福音が伝わるまでに6000年もかかっています。



現代社会は恐れ、不安、恐怖で満ちています。神の愛が必要です。神の愛とはイエス・キリストです。





























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by oume-akebono | 2017-11-19 16:57 | 週報メッセージ

(ヨハネによる福音書 3章16節)       大谷唯信牧師



「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。」



神は昔は預言者達により、いろいろな時に、いろいろな方法で先祖達に語られたが、この終りの時には、御子によって、私達に語られたのである。(へブル1:1-2)



神は今のこの時代にも生きていて確実に私達を支え導いておられる。



しかし、現代の多くの人は神については観念的に何となく意識するだけで、はっきりとはわからず、又、わかろうともしないのが一般的ではないだろうか。信仰は日常生活に日々力を与え豊かな命が与えられるのであるが、多くの人にとっては何か特別な宗教的な精神修養をする事であり、普通の自分の人生にはほとんど関係のないものと見ているのではなかろうか。



神は私達に聖書を通して神を現わして下さり、私達人間が神を知り神と出会っていくためにどのような態度をとるべきかを教えて下さっているのである。聖書は人間の知恵や知識、研究等によって書かれたものではない。それらをはるかに超えた「神の霊感によって書かれた」正に神の啓示の言葉である。さらに神の最大な啓示は神の独り子イエス・キリスト御自身であろう。



この聖書によるならば、神を信じるためにはまず神が啓示として賜わって下さったイエス・キリストを信じることである。イエス・キリストを抜きにしては誰も神を信じることは出来ない。「神を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神を現わしたのである」(ヨハネ1:18)と聖書は語る。これら神の啓示として現わされた聖書を私達は「私の信仰」として取り組むのである。書かれている御言葉、そこに秘められているメッセージを信じるべきなのだ。聖書は私達への「神の約束」である。「十字架の言は滅び行く者には愚かであるが救いにあずかる私達には神の力である」(Ⅰコリント1:18)聖書による神の約束を自分の中で現実化する事を願うのであるが、聖書の助けを求めつつ取り組むのである。








































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by oume-akebono | 2017-11-12 16:54 | 週報メッセージ

(ガラテヤ人への手紙 5章16節)         大谷唯信牧師



「御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない」



「御聖霊さま、私は今あなたと共にいる事を感謝いたします。これからも常に最善に導いて下さることを信じ感謝いたします」


この祈りは寝ても覚めても意識のある限り、祈り、思い、念じ、主と共にある事を心で味わいつつ主を賛美するのだ。嬉しい時、悲しいとき、落ち込んだ時、その現実を受け入れつつ、その実情もそのまま主にお話ししつつ信仰によってこの祈りを捧げる。これを習慣にしてほしい。



これによって主の御臨在(聖霊)に触れ心に平安が与えられるからである。闇の中にあっても心に火が灯り安心と元気が満ちてくるのである。御言葉でも頭で覚え唱えていても教訓程度のものであって力にはならない。聖書研究で御言葉を学んでも同じである。所詮、絵に描いた餅である。御聖霊への信仰を持って御言葉を味わい食べる時、御言葉は文字ではなく生けるパンになって神の力となるのである。これは子供でも初心者でも誰もできる。「わが子よ、わたしの言葉を心にとめ、わたしの語ることに耳を傾けよ。それをあなたの目から離さずあなたの心の内に守れ。それはこれを得る者の命であり、また全身を健やかにするからである。油断することなく、あなたの心を守れ、命の泉は、これから流であるからである。(箴言4: 20 27)を読んでほしい。



この世はアダム以来、知識の木の実を食べ発展してきた。どんなに美しくきらびやかに飾ろうがそれは死に向かっていると聖書は最初から語っている。この世は神から離れ人間の肉(エゴ)で積み上げて来た。イエスは「人が生きるのは霊であって肉は何の役にも立たない」(ヨハネ6:63)と語っている。現代社会を見てほしい。科学文明が発展するほどいよいよ人間が壊れて来たのである。「砂の上に家を建てている「愚かな者」と同じなのだ。御霊によって歩くならば悪の支配から解放され御霊の実ー愛、喜び、平和、寛容)」と真実が恵みとして流れ込んで来るのである。


























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by oume-akebono | 2017-11-05 16:50 | 週報メッセージ