(申命記 30:14)     大谷 唯信 牧師




「この言葉はあなたに、はなはだ近くあってあなたの口にあり、またあなたの心にあるから、あなたはこれを行うことができる。」



この言葉とは神の言葉であり、私達に対する約束の言葉である。私達は常に礼拝に於いて、また、聖書を読むごとに神の言葉を聞いているのだ。しかし、読み聞くだけでは何も変わらない。もし、御言葉が「口にあり、また心にあるなら、あなたはこれを行うことができる。」と言うのである。即ち、「心で信じて義とされ、口で告白して救われる・・・」(ローマ人への手紙10:10)のである。


「私には出来ない」と言った瞬間、あなたは負けである。人は自分で語る言葉に支配されるからだ。それだけに心の世界では信仰の言葉が大切なのである。失敗を語れば失敗に支配され、不安を口にすればますます不安につつまれる。だから私達は信仰によって、大胆に勝利を宣言しようではないか。
多くの人が、何らかの答えを見たり感じたりしないと、信じようとはしない。また、信じられる気になったら、信じようと言って何年も待っている人もいる。信仰は「信じます」と言う意志的判断から始まる事を知ろう。心で信じて口ではっきりと宣言した時、神のいのちが動き出すのである。


神は私達が信仰を働かす事を今か今かと待っておられる。神はあなたを救いたいからである。あのローマの百卒長は部下の病気のためにイエスに願った。「ただ、お言葉を下さい。そうすれば僕はなおります」と。心で信じて、口で宣言したのである。イエスは「これほどの信仰は見た事がない」と非常に感心され、「行け、あなたの信じたとおりになるように」と言われた。「すると、ちょうどその時に僕はいやされた。」(マタイによる福音書8:13)と聖書は語る。


この信じた御言葉にこそ神のいのち、神の力なる御聖霊が働いて下さるのである。御言葉を教訓としてではなく、自分の中で「信仰の言葉」にするのだ。その時に主は働かれるのである。
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by oume-akebono | 2012-12-09 07:53 | 週報メッセージ

(ローマ人への手紙16:6)     大谷 唯信 牧師



「わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためである」



「古き人」とはまだ救われておらず、心の奥に罪(エゴ)の根を持ち罪に支配されている人を言う。この世は罪の力に支配されている。「すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており」(ロマ3:23)と聖書にあるように、すべての人の心の奥にも罪の根が親から子へと確実に引き継がれて、意識せずともこれに支配され動かされているのである。人が健全に育つには良い環境が大切と言われる。


両親の豊かな愛情、充実した教育等々いろいろ上げられている。この世ではそれぞれの専門家達もそれらの充実に向って懸命な努力もされている事だろう。しかし一向によくはならない。何故だろうか。それはすべての働きは周辺的な事であって的を射ていないからである。最も大切な事は、一人ひとりの中に深く根ざしている罪の根を対処する事なのだ。イェスはその一点を成し遂げて下さった。


「内部から、人の心の中から悪い思いが出てくる。不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、邪悪、欺き、好色、ねたみ、そしり、高慢、愚痴、これらの悪はすべて内部から出て来て人を汚す」(マルコ7:21)のである。この罪を対処しなければ周辺をどんなにきれいにしても意味がないのである。神の救いは罪の赦しだけでなく、さらに深い罪の根を対処する事にある。


「罪の価は死であり永遠の滅びである」からだ。あなたは罪から救われているだろうか。罪とは死に至るウィルスである。今や全人類が例外なくこのウィルスに犯されている。人格者、よきパパ、ママ、夫婦円満、社会に多大な貢献をした等々であっても罪のウィルスに勝つ事はできない。神は人間に自助能力なしと断定したのだ。だから神の奥義として独り子イェスの十字架の贖いの救いを与えて下さったのである。イェスを信じる者が救われると言う道を備えて下さったのだ。(ヨハネ14:6)
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by oume-akebono | 2012-12-09 07:50 | 週報メッセージ