(マタイによる福音書 6:30)  大谷 唯信 牧師



「きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。」



マタイによる福音書6章25節以下を読んで味わってみよう。すべての「思いわずらい」「恐れ」「不安」、これらは神から離れて生きる者の特徴である。昔から人生は厳しく、自分の力と努力で切り開き、他に迷惑をかけることなく、甘えることなく自分の責任において生きるものとされてきたのだが、その結果はどうであろう。余りにも自分、自分となりすぎて「自己中心」そのものの社会になっているではないか。


自己中心とは、自覚はないと思うが、自分を神としている事だ。かといって自分に自信があるわけではない。常に不安なのである。強そうに振舞うが実は弱いのだ。しかしその自分にしがみつき、手放せないのである。理想はあっても心は不完全燃焼であり、生殺し状態である。ストレスは溜まり病気にもなろう。これは本来の中心軸からずれた罪の姿であり、「死に至る病」なのだ。


さらに現代人の深刻な問題は、罪の中にあっても罪の自覚がないことである。「赤信号皆で渡れば怖くない」では済まされないのに、である。私達にとっては面白くないことだが、神は人間の罪に対する自助能力はないと、断定したのである。どんなに頑張っても駄目なのだ。それでも認めたくないのが罪の特性なのだから始末が悪い。これも賢く働くサタンの手なのである。


神はそのために、独り子イエスをこの世に与えて下さった。今年もクリスマスが近づいて来たから、その意味を味わっていただきたい。人はイエスの十字架の愛に触れる以外に、自分の罪の本当の自覚は絶対に出て来ないであろう。また神の愛にも触れられない。結局は自分の中で独りぼっちではないか。
今年はどうだろう。本当のクリスマスを迎えようではないか。思いわずらいの人生は、もうおしまいにしよう。
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by oume-akebono | 2011-11-09 08:29 | 週報メッセージ

◆11月を迎え、秋も深まり紅葉の美しい季節となりました。皆様お元気ですか。今日も共に礼拝できますことを感謝いたします。心からの讃美を捧げましょう。

◆本日は第二礼拝にて主の晩餐式が行われます。神が独り子を与えて下さり、私達の罪の贖いとして、十字架の死と復活を与えて下さった事を覚え、お受けいたしましょう。

◆先週の霊交会は多摩川15人、ライフチャーチ15人、調布4人、中野4人と私達の教会で約80名もの集いとなりました。お祈りとご協力を感謝いたします。この交わりの輪が更に大きくされ、諸教会の力となることを祈りましょう。

◆礼拝後のコーヒータイム、昼食等は良き交わりの時として、どなた様もご一緒にいたしましょう。

◆第一礼拝は親子礼拝です。ミニバザーが開かれますので、ご利用ください。

◆本日は昼食後、月例のいずみ会が開かれます。クリスマスに向けての計画について相談します。会員の方の出席をお願いします。

◆水曜日の祈祷会への出席をお願いします。共に祈る教会となりましょう。

◆幼稚園では更に新入園児を募集しています。ご協力ください。

◆昨晩は執事会が開かれました。



<本日の夕拝 午後7:30~8:30>

テサロニケ人への第一の手紙5:16~22

「御霊を消してはいけない」

谷口圭太兄

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by oume-akebono | 2011-11-09 08:27 | 報告