(ガラテヤ人への手紙 5:16)   大谷 唯信 牧師



「御霊によって歩きなさきい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない」



信仰生活は霊的出来事である。しかし、肉の力で押し進めているほうが実に多い。有能で自身のある人ほどそうなってしまうものだ。まわりからも喜ばれ感謝され新たな生きがいを得たりもする。しかし信仰生活は霊的出来事なのである。それなのにこれを肉の力で維持することになると、これは苦しいことになろう。


勿論、自分の調子の良い時、気分が乗った時には快調で、どんな仕事でも生き生きと楽しく出来る。クリスチャンになって良かったとも思う。自分が肉の力でやっている等とは到底思っていない。何をしても楽しいのである。しかし、自分の限度を超えてくると肉の部分が悲鳴をあげてくる。霊的にはまだ幼く力がないからだ。


実はここからが第一歩なのだ。こう言う現実を通して肉が自覚され、イエスの十字架の命に導かれるからである。信仰に入った途端に完全になるわけではない。救われた事はゆるぎない事実である。しかし、神の器としてはまだまだ未熟で多分に肉的であるのが現状である。パウロはコリント教会の人達に「わたしはあなたがたには、霊の人に対するように話す事ができず、むしろ肉に属する者、即ち、キリストにある幼子に話すように話した。食べる力がなかったからである。今になってもその力がない」(コリント人への第一の手紙3:1,2)と語った。


何かトラブルがあると傷ついたり、腹が立ったりするものだ。その部分がまだ肉である証拠なのである。「あなたがたの間にねたみや、争いがあるのは肉の人だからだ」、即ち、相手の問題ではなく自分の肉の問題なのである。この自分の肉が見えたらその時は痛いが成長は早い。「自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけて」(ガラテヤ人への手紙5:26)しまうことが始まるからである。誰もが通る道である。痛みを感じたその瞬間にその部分は新しくされていくのだ。私達の教会はいよいよその成長が始まった。共に肉を捨て霊に生きようではないか。
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by oume-akebono | 2011-08-29 08:53 | 週報メッセージ

◆天候不順な日が続いておりますが皆様お元気ですか。本日も私達心を一つにして主の御名を崇め心から主を讃美いたしましょう。神様は私達の礼拝する中に御臨在下さり、一人ひとりに励ましと力とを与えて下さいます。

◆礼拝後のコーヒータイム、昼食等どなた様も良き交わりの時として御一緒いたしましょう。

◆本日は食後2時半より夏の霊交会が開かれます。夏の最後の主日を皆様と共に霊交会に参加いたしましょう。本日は多摩川教会から子供も含めて16名、仙川教会から2名の参加予定です。礼拝のメッセージを切り口として私達の信仰生活を分かち合い共に学ぶ時といたしましょう。主にある交わりを通して互いに語り合い祈りたいと思います。夕食も用意されます。楽しい恵まれた時といたしましょう。

◆本日より聖山青年キャンプが開かれ、相山知寛兄、浅沼雄一兄が出席します。お祈り下さい。

◆幼稚園は明日二学期の始業日ですお祈り下さい。

◆夕拝も平常通り行います。是非御出席下さい。






<本日の夕拝 午後7:30~8:30>

詩篇 34:18

「主に救われる者」

大久保真道兄

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by oume-akebono | 2011-08-29 08:50 | 報告

(マタイによる福音書16:26)   大谷 唯信 牧師




「人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。」



あなたが永遠の命を得ているかどうかをイェスは問うておられる。人は必ず死ぬのだが永遠の命なる救いをあなたが得ているかを問題にしているのだ。「今はすこぶる元気だし仕事も遊びも順調だし、そんな事考える暇もないよ」「死ぬ時は誰でも死ぬんだから、それでいいんじゃあないの!だから生きているうちに楽しまなきゃ損だよ」とはしゃいでいる声も聞こえてくる。

近頃、有名人が亡くなったりすると必ず誰かが「今頃天国でゆっくりされているでしょうねー」等と言う。近頃は「死んだら誰でも天国に行ける。」と疑いもなく言い切っている声が多い気がする。それが当たり前のようになってきた。なるほど、このようにして民間信仰と言うものが出来てくるのか、とも思う。全くの間違いである。神の子イェスキリストの十字架の血の贖いによらなければ誰であろうと滅びるのである。


全世界を差し出しても命は買えるものではない事をイェスは言われている。どんなに正しく人の前で高潔な人であっても神の規準から見ると救いようがない程の罪人なのである。それを一番知っているのは本人ではなかろうか。罪の価は永遠の死である。この世に義人はひとりもいないと聖書は語る。何人も神の前に悔い改め、福音を信ずる以外に救いはないのだ。


前、仏式の葬儀に出た時、隣にいた僧侶に「人は死んだら、皆、仏になる」と言われているが、あなたもそのように思うのですか」と聞いてみると「とんでもない、そんな事あるわけないですよ」と言う。「では何故本当の事を教えないのですか」と問うと「永年からの民間信仰ですよ。別に悪い事ではないですからネ」であった。この世に合わせているだけなのだ。あなたは死を解決しているだろうか。十字架のキリストを得よ。神の裁きは確実だからである。
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by oume-akebono | 2011-08-24 09:37 | 週報メッセージ

◆本当に暑い一週間でした。急に涼しくなりホッとしている事でしょう。早くも八月も半ばです。さあ、今日も心からの賛美を捧げ礼拝いたしましょう。御聖霊が私達の心に語って下さり力を与えて下さいます。主の御心を知り主に従う者となりましょう。

◆礼拝後のコーヒータイム、昼食は、良き交わりの時として、皆様で御一緒いたしましょう。

◆本日午後3時より(2時半~受付)C.S.夏祭りが行われます。夏休みも終わりに近づいていますので新学期を前にして思い切り楽しむ会です。さんび、ゲーム、お化け屋敷、その他、たくさんのお楽しみがいっぱいです。お友達をさそって来て下さい。教会の方々も御一緒にどうぞ!

◆24日(水)幼稚園では未就園児のための公開保育が行われます。お祈り下さい。

◆大谷万知姉は去る7日に転倒し左手首を骨折しました。11日に手術も無事済ませましたが、回復まで不自由が続きます。お祈り下さい。

◆来週28日(日)は夏の霊交会を開きます。礼拝後2時半より始める予定です。共に霊的に成長し人間としてもキリスト者としてもさらに成長し、神の栄光を現わす私達となりましょう。多摩川教会、仙川教会からも数人の出席予定があります。




<本日の夕拝 午後7:30~8:30>

メッセージ

イザヤ書 40章28-31節

「主に望みをおく人は新たな力を得る」

谷口圭太兄

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by oume-akebono | 2011-08-24 09:24 | 報告

(エペソ2:8)     大谷 唯信 牧師


「あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である」



「あなたは完全な人間ですか」と問われたなら「まさか!わたしは神様ではないですよ」と言う人がいる。信じてない人でもこう言う時には神様を持ち出して自分の不完全さを正当化したりする。「そうですよ、私は完全な人間です」と冗談なら笑って「面白い人だ」で済むが真顔で「そうです」と言い切ったりすれば相手はあきれ顔で言葉を呑み「この人、変ってる!…」と腹の中で思うだろう。


このように自分は完全だと思っている人はまずいないと思う。しかし多くは「自分は正しい」という前提の中で生活している。だから一寸の一言で気分を悪くしたり傷ついてしまったりもするのである。たとえ間違っていたとわかっても「あんたには言われたくない」と腹立たしくもなったりする。
何故このようになるのだろう。それは本来の創造主なる生きた神を中心としないで自分の考え、自分の主義や理想を中心に生きているからである。


しかし、どんなに立派な人でも完全に見える人格者であっても神の規準から見たならすべての人が失格者であり滅びであると聖書は語る。一皮むけば皆同じく、「不義と悪と貪欲と悪意とにあふれ、ねたみと殺意と争いと詐欺と悪念とに満ち、また、ざん言する者、そしる者、神を憎む者、不遜な者、高慢な者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者となり、無知、不誠実、無情、無慈悲な者となっている」(ロマ1:29-31)と。


しかもどんなに努力しても人間には自助能力はないと神は断定しておられる。神の義たる規準には全く及ばず永遠の滅びとされた。即ち神は人間に全く絶望したのである。そこで神は人々を神の義に引き上げるために独り子イェスをこの世に与えて下さり十字架の贖いによって義を得られるようにして下さったのである。これは私達の努力や行いによるのではなく、ただイェスの救いを信じ受け入れた者にだけ与えられる神からの賜物であり、神の愛なのである。
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by oume-akebono | 2011-08-15 06:53 | 週報メッセージ

◆猛暑の続く毎日ですがお元気ですか。夏休みとなりお盆の帰省ラッシュが始まりました。御家族で旅行等々お出かけの方々も多いと思いますが、私達は今日も共に礼拝の出来ますことを感謝いたします。心からの讃美を声高らかに献げましょう。

◆礼拝後のコーヒータイム、昼食等は良き交わりの時としてどなた様も御一緒いたしましょう。

◆壮年のセルグループは昼食を共にしながら行いますので礼拝堂の前に来て下さい。

◆昼食後にC.S.教師会が開かれます。あけぼの夏祭りとしてサマーキャンプに参加した子供達と一緒に讃美、ゲーム等々で楽しい時といたしますので最終の打合せをいたします。教師をはじめスタッフの方々は出席して下さい。

◆あけぼの夏祭りは来週21日(日)午後3時からです。子供達に教会での夏の楽しい思い出が沢山できる会となります。皆様も祈り応援して下さい。

◆昨日まで、4日間の聖山キッズキャンプも祝され、皆無事に帰って来ました。お祈りを感謝いたします。




<本日の夕拝 午後7:30~8:30>

メッセージ

マタイによる福音書 7章21-27節

「主に生きる者か」

森元 國文副牧師

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by oume-akebono | 2011-08-15 06:46 | 報告

(使徒行伝 1:14)     大谷 唯信 牧師



「・・・ひたすら祈りをしていた。」



「祈りは呼吸のようなものだ」という言葉がある。「今朝は余りにも忙しかったので、気がついてみたらすっかり息をするのを忘れていた」等と言う人はあるまい。「あんまり苦しくて息もできなかった」という人でもなおの事、必死で息をしたにちがいない。何故なら息をしなければ死ぬということを頭ではなく体でわかっているからである。呼吸は死生に直結している。そんな重大なことだが、意外と吸った、吐いた等の意識はない。しかし一寸止まったら大騒ぎである。キリスト者にとっての祈りは、これと同じなのだ。


ところがどうであろう。祈りなくしても平然と信仰生活ができてしまう不思議が、現実にはあるのではなかろうか。自分を振り返って欲しい。キリスト者はこの世の肉の領域にいながらにして、神の命の霊の領域に生かされているのである。この霊の領域を深め、拡げて行くのは聖霊を信じての祈りにある。祈りがなく、信仰生活がなされているとするなら、それは霊ではなく肉の力だ。


初めは誰でもここから出発するのだが、パウロの言う“幼な子”なのであり、堅い食物は食べられない。一寸した事でねたみや争いが起きたり、愛があるとかないとか、傷ついたとか・・。パウロは「それはあなたがたが肉の人であって、普通の人間のように歩いているためではないか。」(Ⅰコリント 3:3)と語る。昔も今も変わらない。即ち、肉の人は霊がわからないのである。


肉の人ほど自分が肉であることに気がつかない。頭で霊のことを学ぶと、もう自分が霊の人になったと思ってしまう。出来上がって行くのだ。本当に霊が深められると、自分の肉がわかるから、出来上がるどころか、その度に悔い改めるばかりである。その結果成長の恵みにあずかるのだ。成長は自分の努力によるものではない。肉であるなら、御言葉も教訓程度であり、説教も内容があったとしても、神の命はない。肉は肉であり、死である。初代教会の力の秘訣は、聖霊に期待してひたすら祈った事だ。私達もひたすら祈ろうではないか。
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by oume-akebono | 2011-08-09 11:05 | 週報メッセージ

8月7日   週報より

◆8月を迎えました。東北大震災に加え天候不順による猛暑、大雨、洪水、原発事故による放射能汚染、円高等々、政治も経済も力及ばずの状況です。だからこそ私達は、主を仰ぎ信仰に立って、心からの神への礼拝をいたしましょう。

◆本日は第二礼拝にて主の晩餐式が行われます。神の子イエスが、全人類の罪を御自分に背負い、十字架の死と復活によって救いの道を完成してくださったことを、感謝してお受けいたしましょう。

◆礼拝後のコーヒータイム、昼食等、どなた様も良き交わりの時として、ご一緒にいたしましょう。

◆昼食後、本日は定例のいずみ会が開かれます。夏以降の教会の予定、活動について報告・相談をいたします。会員の方は御出席をお願いします。

◆本日7時半からの夕拝は、先月迄目白ヶ丘教会副牧師でありました、松永九実子先生のメッセージで行います。普段出ておられなかった方も、どうぞご出席ください。

◆今週(10日(水)~13日(土))聖山キッズキャンプが行われます。相山和未姉、知寛兄をリーダーとし、C.S.より6名の子供達が参加します。お祈りください。

◆C.S.夏祭り-21日(日)午後3時~先日のサマーキャンプの参加者66名の子供達を対象に、楽しい讃美、ゲーム等いっぱいのC.S.夏祭りをいたします。声を掛け合って参加しましょう。




<本日の夕拝 午後7:30~8:30>

メッセージ

(元)目白ヶ丘教会副牧師

松永九実子先生

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by oume-akebono | 2011-08-09 11:03 | 報告

(使徒行伝 1:46~47)  大谷 唯信 牧師



「そして日々心を一つにして、絶えず宮もうでをなし、家ではパンをさき、よろこびと、まごころをもって、食事を共にし、神をさんびし、すべての人に好意を持たれていた。そして主は救われる者を日々仲間に加えて下さったのである。」



これこそ神の国であり生きた教会の姿である。イエスは伝道を開始した時、開口一番、「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」(マルコによる福音書1:15 )と言われた。預言者イザヤは「暗闇の中に歩んでいた民は大いなる光を見た。暗黒の地に住んでいた人々の上に光が照った」、

またダビデの末から「ひとりのみどりごが我々のために生まれた、一人の男の子が我々に与えられた。その名は霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君と唱えられる」(イザヤ書9:5~6)との予言通り神の御業が進められているのだ。

今や全人類を罪から救い出す十字架の福音はペンテコステ以来、教会に託され、全世界に伝えられ、ついに私達青梅あけぼの教会にまで及んでいるのであるから驚きの神の御業である。イザヤはイエスの誕生700年前であり、ダビデは千年も前のイスラエルの王であった。しかし神の出来事は時代を超えて常に今の出来事として迫ってくる。

使徒時代の初代教会の歩みに現代の私達の求めるべき姿が沢山あることがわかる。それはまず、日々心を一つにして絶えず礼拝し、祈りあう事、そして生活を互いに分かち合う健康的な豊かな交わりがあり他の人からも好感がもたれ尊敬される生活があった事である。わたしたちが持つ信仰生活は独りよがりであってはならない。それだけに小グループであるセルグループが重要なのだ。聖書研究会ではない。御言葉を生活の中で実践するための分かち合いである。教会は組織やプログラムで進むのではない。現実の生活を分かち合う個人、人々の成長のプロセスを通して御聖霊が進めて下さるのである。
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by oume-akebono | 2011-08-03 06:43 | 週報メッセージ

◆激しい雨によって東北地方は大変な被害がでております。祈りに覚えて下さい。本日も皆様と共に心からの賛美を捧げ礼拝をいたしましょう。

◆昨日までC.Sサマーキャンプが開かれました。皆様のお祈りの支えを感謝いたします。参加者は66名の参加者が与えられ、教師、スタッフと食事の御世話の女性会の方々で合計100名を超えるキャンプとなりました。上級生は金・土は一泊し、恵まれた夜の時を過ごしました。土曜日はお迎えの父母を交えて報告会が開かれ礼拝堂がいっぱいになるほど来られ感謝、感謝でいっぱいでした。来年はもっと充実させるため上級の5,6年生と中高生の合同の修養会を青年たちの御世話でできたらと思っています。

◆トイレが使用不能となりました。本日は昼食も取りやめすぐ解散と言う事にします。御協力下さい。トイレ使用の方は牧師館のトイレを使ってください。

◆夕拝は平常通り行います。是非御出席下さい。




<本日の夕拝 午後7:30~8:30>

ローマ人への手紙 5:6~8

「罪人に与えられたイエスの愛」

相山喜祈執事

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by oume-akebono | 2011-08-03 06:40 | 報告